ムスリムが知らなくてはならないこと
本書の目的は、アキーダ(神学)、崇拝行為、諸取引に関してムスリムが知らなければならない最も重要な事項を、明確かつ簡潔に明示することです。それらは、ムスリムが自らの信仰と崇拝行為を正すための実践的な糧となるものです。
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ムスリムが知らなくてはならないこと
はじめに
万有の主アッラーに称賛あれ。人類に慈悲として遣わされた方、その一族、その教友たち、そして審判の日までそのスンナに従い、その導きによって正道を歩む者たちに祝福と平安あれ。さて:
本書は、ムスリムが信仰、崇拝行為、そして社会生活において必要とする最も重要な事柄を記した簡潔な文書です。二聖モスクを訪れる男女が、自身の宗教の事柄について知識と明察を得られるように、これをまとめました。寛大にして恵み深きお方が、これによって人々を益し、これを正しく善きものとし、純粋にかれの御顔のみを求めるものとしてくださるよう願います。誠にかれこそは、求めを請われる最も善きお方であり、望みをかけられる最も寛大なお方であられます。
マスジド・ハラームおよび預言者マスジド宗教事務統括庁学術委員会
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
第一部:
アキーダに関すること
第一節:イスラームの意味とその柱:
イスラームとは:タウヒード信仰と服従行為による従順さ、そしてシルクとシルクの徒から潔白であることにおいて、アッラーに従うことを意味します。
イスラームには、以下の五つの柱があります:
1.アッラーの他に崇拝に値するものはなく、ムハンマドはアッラーの使徒であるという証言。
2.サラー(礼拝)の確立。
3.ザカー(浄財)の支払い。
4.ラマダーンのサウム(斎戒)をすること。
5.そこに赴くことが可能な者は、聖なるカアバ神殿へハッジ(大巡礼)を行うこと。
タウヒードの重要性:
偉大かつ荘厳なるアッラーが被造物を創造されたのは、彼らがかれを崇拝し、かれに何ものをも配してはならないことを知るためです。 アッラーは仰せになりました: われがジンと人間を創造したのは、彼らがわれ(のみ)を崇拝するために外ならない。 [撒き散らすもの章:56節] そしてこのイバーダ(崇拝行為)は、知識によってのみ知ることができ、 アッラーは仰せになりました: ならば(預言者よ)、アッラーの外には(真に)崇拝されるべき何ものもないことを知り、自分の罪のお赦しを乞うのだ。そして男の信仰者たちと、女の信仰者たちのためにも(罪の赦しを乞え)。アッラーはあなた方の動作も、あなた方の住処もご存知であられる。 [ムハンマド章:19節] それゆえ、言葉と行いに先立って知識から始められたのです。 したがって、ムスリムが学ぶべき最も重要なことが、偉大かつ荘厳なるアッラーのタウヒード(唯一化)です。なぜなら、それこそがイスラームという宗教の根本であり、その基礎だからです。 宗教はタウヒード(アッラーの唯一性信仰)なくしては成り立たちません。そしてこれは、ムスリムに課せられた最初の義務であり、また最後の義務でもあります。 タウヒードは、すべてのムスリムが知り、それに則って行うことが義務付けられているイスラームの柱のうちの1番目の柱であり、それらは5つの柱から成ります。 アブドッラー・ブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)のハディースにあるように、彼は言いました: 「私はアッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)がこういうのを聞きました: 『イスラームは5つの(柱)上に建てられている:それは、アッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドはその使徒である(ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドゥッラスールッラー)と証言し、サラー(礼拝)し、ザカー(浄財)を施し、カアバ神殿を目指してハッジ (大巡礼)を行い、ラマダーン月にサウム (斎戒、いわゆる断食)することである。』」[1] [1] ブハーリー(8)の伝承。
したがって、ムスリムはタウヒードの意味を学ばなければなりません。それは、崇拝においてアッラーのみを対象とすることであり、 かれへの崇拝において、それが御側に侍る天使であれ、遣わされた預言者であれ、何者をも同位者としてかれと配置してはなりません。
“ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラー以外に真に崇拝すべきものはない)”というシャハーダ(証言)の意味:
それは、しもべが確固たる信念をもって、偉大かつ荘厳なアッラー以外には真に崇拝すべきものは存在しないということを承認することで、 アッラーのみを崇拝し、ドゥアー(祈願)や畏怖、願望、タワックルなどあらゆるイバーダ(崇拝行為)においてかれのみを対象とします。
信仰証言は、2つの柱なしには成立しない:
第一:アッラー以外のもの、すなわちすべての並ぶもの、神々、ターグート(アッラーを差し置いて崇拝されたり、服従されたりする全ての対象のこと)に対する神性と、それらへの崇拝を否定することです。
第二:神性および真の崇拝が、他の何ものでもなく唯一アッラーのみに属することを確証することです。 アッラーは仰せになりました: われらは確かに、あらゆる共同体へと使徒を遣わし(て、こう伝えさせ)た。「アッラー(だけ)を崇拝し、ターグートを避けよ」。 [蜜蜂章:36節]
そして、“ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラー以外に真に崇拝すべきものはない)” の条件は:
1.無知を否定する知識。
2.疑いを打ち消す確信。
3.シルクを否定する純粋さ。
4.嘘と相容れない正直さ。
5.憎しみと相容れない愛情。
6.放棄することと相反する服従。
7.拒むことなく、受け入れること。
8.至高なるアッラーを差し置いて崇拝されているものを否定することです。
これらの条件は実践しなければならないものであり、次の2行の詩にまとめられています:
知識、確信、誠実さと正直さ、それに伴う愛と服従、そしてそれを受け入れることである。
そしてその8番目として加えられるのは、アッラー以外に神とされたものをあなたが否定することである。
また、証言の実現は、唯一無二の至高なるアッラーに対するイバーダの真摯さによってなされるものであり、 アッラー以外には祈願せず、アッラー以外には身を委ねず、アッラー以外には望まず、アッラー以外には礼拝せず、至高なるアッラー以外には犠牲を捧げません。
一部の人々が行う、墓の周りを巡ったり、死人に救済を求めたり、アッラーのほかに彼らにドゥアー(祈願)したりする行為は、イバーダ(崇拝行為)におけるシルクです。 したがって、そのことには注意し、また警告しなければなりません。なぜならそれは、至高なるアッラーを差し置いて偶像や石や木を崇拝するという、多神教徒たちの行いと同じ類のものだからです。 それは、それに対する警告と禁止のために諸啓典が下され、使徒たちが遣わされたシルクなのです。
「ムハンマドゥッラスールッラー(ムハンマドはアッラーの使徒である)」というシャハーダ(証言)の意味:
彼(預言者)の命令に従い、伝えたことを信じ、禁じたことから遠ざかること、そして、彼が定めた方法以外でアッラーを崇拝しないことです。 ムスリムは、ムハンマド・ビン・アブドゥッラー・アル=クライシー・アル=ハーシミーが、全ての被造物、すなわち全人類とジンに向けて遣わされた、偉大にして至高なるアッラーの使徒であることを認めます。 アッラーは仰せになりました: (使徒よ、)言ってやるがいい。「人々よ、本当に私はあなた方全員への、アッラーの使徒である...」 [高壁章:158節]
そしてアッラーは、かれの教えを伝え、人々を導くために使徒を遣わされました。 アッラーは仰せになりました: (使徒よ、)われらがあなたを遣わしたのは、全ての人に向けて、吉報を伝える者、警告を告げる者としてに外ならない。しかし大半の人々は、知らないのだ。 [サバア章:28節] またアッラーは仰せになりました: また、(使徒よ、)われらがあなたを遣わしたのは、全創造物への慈悲ゆえに外ならない。 [預言者たち章:107節]
また、この証言が要求することは、アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)に主権における権利や宇宙を管理する権限、あるいは崇拝される権利があると信じないことです。 むしろ彼(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は、崇拝されてはならないしもべであり、偽りとされてはならない使徒です。 また、アッラーが御好みにならない限り、自らや他者の恩恵や害を何一つ制御することは彼にはできません。 アッラーは仰せになりました: (使徒よ、)言ってやるがいい。「私はあなた方に、自分にはアッラーの(数々の)宝庫があるなどとは言っていないし、不可視の世界も知らない。またあなた方に、自分こそは天使だ、とも言ってはいない。私は、自分に啓示されることに従っているだけなのだ」 [家畜章:50節]
第二節:信仰(イーマーン)の意味と、信仰における柱:
イーマーンとは、心による承認、口による言葉、心と身体による行いであり、服従行為によって増加し、反抗的行為によって減少するものです。
信仰は、崇拝行為が成立し、受け入れられるための条件です。 多神と不信仰は、全ての服従行為を無効にします。 アッラーは浄めなくしての礼拝をお受け入れにはなられないのと同様に、信仰なくしての崇拝もお受け入れにはなられません。 アッラーは仰せになりました: そして男性であれ女性であれ、誰であろうと信仰者で正しい行いを行う者、それらの者たちは天国に入る。彼らは、斑点一つほども不正に扱われることはない。 [婦人章:124節]
また、シルクが行いを無駄にしてしまうということを説明しました。 アッラーは仰せになりました: (使徒よ、)あなたと、あなた以前の者(使徒)たちには、確かに(こう)啓示されたのである。「もしもあなたがシルクを犯したならば、あなたの行いは必ずや台無しとなるのであり、あなたは必ずや損失者の類いとなるのだ」。 [集団章:65節]
そしてイーマーンには6つの基幹があります:アッラー、諸天使、諸啓典、諸使徒、来世、良い事、悪い事における運命を信じることです。
1) アッラーを信じること。そしてそれは次の 3 つの事を内包しています:
1- かれの(全ての被創造物に対する)主権を信じること:
それは、創造、糧を与えること、生かすこと、死なせることなどの行為における、偉大なるアッラーの唯一性を承認することです。 アッラー以外に創造者はなく、アッラー以外に養生者はなく、アッラー以外に生を与える者はなく、アッラー以外に死をもたらす者はなく、至高なるかれ以外に宇宙を采配する者は存在しません。
自らの言っていることを信じずに奢り高ぶる者である場合を除き、被造物の中で誰一人として至高なるアッラーの主宰性を否定した者がいるとは知られていません。 フィルアウンが彼の人々にこう告げた時に、彼に起こったように: 「私が、あなた方の至高の主である」。 [引き離すもの章:24節] しかし、それは信仰に基づくものではありません。至高なるアッラーがムーサー(彼に平安あれ)についてこう仰せられたように: 彼(ムーサー)は、言った。「これらのもの(九つの御徴)を開眼として下したのは、諸天と大地の主以外の何ものでもないということを、あなたは確かにご存知です。そして、本当に私はまさしくーーフィルアウンよーー、あなたが破滅する者であると確信しています」。 [夜の旅章:102節] アッラーは仰せになりました: そして彼らの心はそれ(奇跡の真実性)を確信しつつも、不正と傲慢さによって、それを(言葉で)否定した。 [蟻章:14節]
というのも被造物は創造主無しにはありえないからです。 自ら自分自身を存在させることはできず、 物が自分自身を創造することはできません。また偶然存在することも不可能です。 なぜなら、新たに発生した全てのものには、それを発生させた存在が必要だからです。 そして、その存在がこの素晴らしい秩序と調和のとれた連携の上に成り立っていることは、それが偶然によって存在する可能性を否定するためです。 それゆえ、存在させるものが必要となり、かれこそが、万有の主であるアッラーなのです。 アッラーは仰せになりました: いや、彼らはいかなるものもなしに、創られたというのか?それとも彼らが創造者なのか? それとも、彼らが諸天と大地を創ったのだと?いや、彼らは(アッラーの懲罰を)確信していない。 [山章:35-36節]
多神教徒たちはアッラーの主性を認めていた一方で、神性においてかれに他のものを並べており、そのことによって彼らがイスラームに入ったことにはなりませんでした。 預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は彼らと戦い、彼らの命と財産を合法としました。なぜならか彼らは、崇拝において多神崇拝を行ったためです。 彼らはかれと共に、偶像や石、天使やその他のものといった、かれ以外のものを崇拝しました。
2- アッラーのウルーヒーヤ(神性)への信仰:
かれのウルーヒーヤへの信仰、すなわち、かれが唯一の真の神であり、何ものもかれに共同・参与しないということです。 そして(イラーフ)とは(マアルーフ:真に崇拝されるべき存在)という意味であり、すなわち愛と、比類なき讃美と、服従し謙虚に仕えることをもって(イバーダされる存在)のことです。
アッラーは仰せになりました: あなた方の神は、ただ一つの神(アッラー)で、かれ以外には、崇拝すべきものなどないお方、慈悲あまねきお方、慈愛深いお方なのである。 [雌牛章:163節]
アッラーと共に神を設け、かれを差し置いてそれを崇拝する全ての者について、そのウルーヒーヤは無効です。 アッラーは仰せになりました: それはアッラーこそが(、崇拝されるべき唯一の)真理であり、彼ら(シルクの徒)が、かれをよそに祈っているものこそが虚妄であるため。そしてアッラーこそが、至高のお方、大いなるお方であるためなのだ。 [巡礼章:62節]
それゆえ、ヌーフからムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)に至る使徒たち(彼らに祝福と平安あれ)は、彼らの民に対し、アッラーの唯一性へと誘い、他の何ものでもなくアッラーのみを崇拝するよう呼びかけていたのです。 至高なるアッラーは、多神教徒たちが至高なるアッラーと共に神々を選んで崇拝し、彼らに助けを乞い、救いを求めることを、2つの理性的証拠によって虚偽であると退けられました:
第一:彼らが設けたこれらの神々には神性の特質が一切なく、それらは創られたものであり、何も創造することなく、崇拝者に対して益をもたらすことも害を払うこともできず、生も死も再生(を司る力)も有してはいません。 アッラーは仰せになりました: 彼ら(シルクの徒)は、かれをよそに神々を設けた。(それらは)それら自身が創られたものであり、何も創造することなく、自分自身に対する害も益も有さず、死も生も再生(を司る力)も有してはいない。 [識別章:3節]
第二:これらの多神教徒たちは、アッラーのみが創造者であり、管理者であることを認めていました。そしてこのことは、彼らがタウヒード・アッ=ルブービーヤにおいてかれを唯一としたように、タウヒード・アル=ウルーヒーヤにおいてもかれを唯一とすることを必須条件とします。 アッラーは仰せになりました: (使徒よ、)言ってやれ。「大地と、そこにあるものは誰のものか?もし、あなた方が知っているのであれば」。 彼らは言うであろう。「アッラーのものである」。言ってやるのだ。「一体、あなた方は教訓を得ないのか?」 言ってやれ。「七層の天の主と、偉大なる御座の主は誰か?」 彼らは言うであろう。「(それらは)アッラーのものである」。言ってやるのだ。「一体、あなた方は畏れないのか?」 言ってやれ。「その御手に全てのものの絶対なる王権があり、そして(援助を求める者を)お助けになり、かれ(の意)に反しては(誰も)助けられることがないお方は、誰か?もし、あなた方が知っているのならば」。 彼らは言うであろう。「(それらは全て、)アッラーのものである」。言ってやるのだ。「ならば一体、あなた方はどうしてまやかされるのか?」 [信仰者たち章:84‐89節] ゆえに彼らがタウヒード・アッ=ルブービーヤを認めるならば、崇高なるかれおひとりのみにイバーダ(崇拝行為)を捧げなければならず、かれへの崇拝において何者をも並べてはならないのです。
3- 美名と属性への信仰:
すなわち、アッラーがご自身の啓典の中で、ご自身について示されたこと、 もしくは、アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)がそのスンナにおいてかれ(アッラー)について示されたことの確証です。 美名と属性のうち、至高なるアッラーに相応しい形で、 意味のすり替えもなく、完全否定もなく、 様態を定めることもなく、何かに例えることもなく。 アッラーは仰せになりました: アッラーにこそ、美名は属する。ならば、それによってかれに祈願するのだ。そして、かれの美名において(真理から)逸脱する者たちは、放っておくがいい。彼らはいずれ、自分たちが行っていた(悪)事の応報を受けることになるのだから。 [高壁章:180節] アッラーは仰せになりました: いかなるものも、かれには似ていない。そしてかれはよくお聞きになるお方、よくご覧になるお方である。 [相談章:11節]
シルクの種類は3つあります:
1- 大シルク
2- 小シルク。
3- 隠れたシルク。
1- 大シルク:
その基準とは:アッラーに属する特質において、アッラー以外のものをアッラーと同等にすることです。 アッラーは仰せになりました: 私たちがあなた方を、全創造物の主に並べて(崇拝して)いた時。 [詩人たち章:98節]
それには以下のことが含まれます:イバーダ(崇拝行為)をアッラー以外のものに向けることです。 あるいはその一部をアッラー以外のものに捧げることです。例としては、ドゥアー(祈願)や救済を求めること、誓いを立てること、犠牲を捧げること、およびその他のイバーダ(崇拝行為)が挙げられます。
あるいは、以下を含みます:偉大にして尊厳なるアッラーが禁じられたものを合法とみなすことです。 または合法とされたものを禁止すること、 あるいは、偉大かつ荘厳なるアッラーが義務付けられたものを放棄することです。 例えば、宗教上禁じられていることが自明な事柄を合法と見なすこと:姦淫や酒、親不孝、利子、あるいはそれに類するものを合法と見なすことなどがこれに当たります。
あるいは、偉大かつ至高なるアッラーが合法とされた善きものを禁止すること、 あるいは、アッラーが義務付けられたものを無効にすること; 礼拝が義務ではないこと、あるいは斎戒が義務ではないこと、あるいはザカートが義務ではないこと、と信じることなどです。
また大シルクは、行いを無に帰させ、それを犯している状態で死を迎えた者に地獄での永住をもたらします。 アッラーは仰せになりました: そして、もし彼らがシルクを犯したら、彼らが行っていたことは彼らにとって台無しになるのだ。 [家畜章:88節]
そして、その状態で死んだ者は、アッラーは彼を決してお赦しにはなられず、楽園(に入ること)は彼に禁じられます。 アッラーは仰せになりました: 本当にアッラーは、かれと共に(何かが)並べられること(シルク)をお赦しになることはないが、それ以外のことは、御心に適う者にお赦しになる... [婦人章:48節] アッラーは仰せになりました: 本当に、アッラーに対してシルクを犯す者は誰であろうと、アッラーが彼に天国を禁じられるのだ。そして、その住処は(地獄の)業火である... [食卓章:72節]
2- 小シルク:
それは、諸テキストにおいてシルクと名付けられることが確証されているものの、大シルクの段階には達していないものであり、これが小シルクと呼ばれます。 アッラー以外の何かに宣誓することなどです。 カアバ、預言者たち、信用されているもの、誰々の命などにかけての誓いや、それに類するものといったようにです。 預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「アッラー以外のものにおいて誓いを立てた者は、不信仰に陥ったか、あるいはシルクを犯したことになる。」[2] [2] アフマドの『ムスナド』(6072)とティルミズィー(1535)の伝承。彼は「良好(ハサン)なハディースである」と述べている。
また、それを犯す者の心の持ちようによっては、大シルクともなりえます。 したがって、預言者や特定のシャイフにおいて誓う者の心の中に、その対象がアッラーと同等である、もしくはアッラー以外にドゥアーされる存在である、もしくは宇宙を管理している存在であるという思いがある場合、それは大シルクとなります。 一方で、もしアッラー以外のものにおいて誓う者がこのような意図を持っておらず、それが習慣になっていた為に、そのような意図なしに単に口を突いて出ただけである場合、それは小シルクを犯したことになります。 これは一部の地域において頻繁に起きていることです。したがって、タウヒードの維持とその保護のために、これに留意し、これに対する注意を促すことが義務となります。
3- 隠されたシルク:
それは心にあるリヤ―(見せかけ)のことです。 人々への見せかけのために礼拝や読誦を行い、あるいは人々から讃えられるために讃美を唱え、あるいは人々から称賛されるために施しをなす者のようなことです。 これは、人にこれ見よがしに行った行いを無効なものとしますが、至高のアッラーに純真に向けられたその他の行いを無効にするわけではありません。
預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました。 「このウンマにおけるシルクは、闇夜の黒い岩の上を這う黒い蟻の歩みよりも見えにくいものである。その贖罪は次のように唱えることである:『アッラーよ、本当に私は、知っていながら(何ものかを)あなたに配することから、あなたに御加護を求めます。そして、私が知らずに犯した罪について、あなたに御赦しを請い願います。』」[3] [3] アル=ブハーリーのアル=アダブ・アル=ムフラド(716)、アハマドのアル=ムスナド(19606)、アッ=ディヤーウ・アル=マクディスィーのアル=アハーディース・アル=ムフターラ(1/150)の伝承。そしてアル=アルバーニーがサヒーフ・アル=ジャーミウ・アッ=サギール(3731)においてサヒーフとしている。
不信仰の種類:
第一に、大クフル:
それは地獄での永遠を必然とするものであり、5種類あります:
1- 嘘とみなす不信仰:
それは、使徒たちを嘘付きであると信じることであり、 これは不信仰者においては稀なことです。なぜなら偉大かつ崇高なアッラーは、明白な証拠によって諸使徒を支持されたからです。 これら真理を拒む者たちのありさまは、まさにアッラーが次のように描写された通りです: そして彼らの心はそれ(奇跡の真実性)を確信しつつも、不正と傲慢さによって、それを(言葉で)否定した。 蜜蜂章 14節
2- 拒否と高慢さによる不信仰:
これはイブリースの不信仰と同様です。彼はアッラーの命令を否定したわけでも否認したわけでもなく、ただ拒むことと高慢をもってそれに対したのです。 アッラーは仰せになりました: われらが天使たちに「アーダムにサジダせよ」と言い、そして彼らがサジダした時のこと(を思い起こさせよ)。但しイブリースは、別だった。彼は(サジダを)拒絶し、驕り高ぶり、不信仰者となった。 [雌牛章:34節]
3- 回避による不信仰:
それは、その聴覚と心において真理に従うことから背き、それを顧みることも、少しも気に留めることもないということです。 アッラーは仰せになりました: 自分の主の御徴で教訓を与えられていながら、それに背を向ける者よりもひどい不正を働く者がいようか?本当にわれらは、罪悪者らに報復する者なのである。 [アッ=サジダ章:22節]
一方、部分的な忌避については、不信仰ではなく、宗教における放埓と見なされます。それは、サウム(断食)やハッジ(巡礼)の規定などのように、宗教におけるいくつかの義務を学ぶことから顔を背けるような者のことです。
4- 疑いの不信仰:
それは、躊躇して真実を確信せず、むしろそれに疑念を持っているということです。次のようにアッラーは仰せになりました: そして彼(不信仰者)は、自らに不正を働きつつ、自分の果樹園に入った。彼は(その実りを喜び、)言った。「これ(果樹園)が絶対に、消え失せてしまうとは思わないし、 (復活の)その時が起きるとも思わない。そして(信仰者よ、あなたが主張しているように)、もしも自分が我が主の御許に戻らされたとしても、私は絶対にそれ(自分の果樹園)よりも善いものを、(自分の)帰り先として見出すのだ」。 [洞窟章:35‐36節]
5- ニファークの不信仰:
それは、舌ではイーマーンを見せかけ、心の中には否定を秘めることです。 アッラーは仰せになりました: また人々の中には、信仰者でもないのに、「私たちはアッラーと最後の日を信じる」と言う(偽信)者がいる。 [雌牛章:8節]
これらは、イスラームではなくなってしまう大いなる不信仰の種類です。
第二に、小クフル:
この種のものは、地獄への永住を必然とするものではありません。 それは、啓典とスンナにおいて定冠詞(アリフとラーム)を伴わず、むしろ不定形で「クフル(信仰の否定)」と称されているものであり、 これについての例はたくさんあり、その中には: アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)のハディース。彼は言いました:「アッラー の使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 『人びとの中にある2つのことは不信仰である。血統を中傷することと、死者のために泣き叫ぶことである。』」 [4] [4] ムスリム(121)とアハマドの『ムスナド』(10434)の伝承。
2) 天使たちを信じること:
彼らは不可視の世界に属し、 至高なるアッラーは彼らを光から創造されました。 彼らは至高なるアッラーの崇拝者たちであり、 また彼らは主権や神権の特性を何一つ持ちません。 彼らはアッラーの命じられたことに違犯せず、 そして命じられたことを実行します。 彼らの数は非常に多く、その正確な数は至高なるアッラーのみがご存知です。
また、天使たちへの信仰は次の 4 つの事を内包しています:
1- 彼らの存在を信じること。
2- ジブリール、ミーカーイール、イスラーフィールやその他の者たちのように、彼らの内でその名が知られている者たちを信じること。 またその名が知られていない者に関しても、全て一括して信仰します。
3- クルアーンとスンナで言及された、私たちが知っている彼らの性質を信じることです。 ジブリールの姿については、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が、至高なるアッラーに創造されたありのままの姿の彼を見たこと、そして彼には 600 の翼があり、地平線を覆っていたことを伝えています。
4- 私たちが知る彼らの行いを信じること。例えば、アッラーを讃えることや、疲れも知らず休むこともなく、毎日毎晩かれに仕えることです。
たとえば、ジブリール:啓示を託された天使。
イスラーフィール:角笛を吹き鳴らして現世の終焉を告げ、そして復活を知らせる役割を担います。
死の天使:しもべに死が訪れた際、魂を引き抜く役割を担います。
また地獄の番人マーリク、天国の番人リドワーン、その他の天使たちがいます。
3) 諸啓典を信じること:
諸啓典とは、至高なるアッラーが使徒たちに下し給うた天啓の書物のことです。 人々が現世と来世の幸福に至るために、人類への導きとして、また彼らへの慈悲として。
そして、諸啓典への信仰には 4 つの物事が含まれます:
1- それらが真にアッラーから啓示されたものであると信じること。
2- ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)に下されたクルアーンのように、それらのうち名前を知っている書物を信じること。 ムーサー様(彼の上に平安あれ)に啓示された律法、 イーサー様(彼の上に平安あれ)に下された福音、 ダーウード様(彼の上に平安あれ)に授けられたザブール(詩篇)。
また、名前が知られていないものに関しては、全て一括して信仰します。
3- それらの内容を信じること。クルアーンの内容や、以前の書物のうち改変されていないものの内容などです。
4- 取り消されていない法規定を守ること。その理由が分かっても分からなくても、満足を持って受け入れ、従うこと。 以前の諸啓典はすべて無効化され、偉大なるクルアーンによって取って代わられました。 その中で真正であり、クルアーンあるいは預言者のスンナによって承認されたものでない限り、以前の諸啓典のいかなる規定にのっとることも許されません。
4) 使徒たち(彼らの上に平安あれ)を信じること:
諸使徒:「使徒」の複数形であり、人間の中から法規範を啓示され、その伝達を命じられた者のことです。 最初の者はヌーフ様(彼の上に平安あれ)であり、最後の者はムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)です。 彼らは創造された人間であり、 主権や神権に相当する特性を何一つ持ちません。
諸使徒への信仰には以下が含まれます:
1- 彼らのメッセージがアッラーからの真実であると信じること。 誰であれ、彼らの内の一人でも否定した者は、全員を否定したことに等しいのです。
2- 彼らの内、私たちにとってその名が知られている者たちについては、その名をもって信じること。例えば:ムハンマド様、イブラーヒーム様、ムーサー様、イーサー様、ヌーフ様(彼らの上に平安あれ)などです。彼らは使徒たちの中でも確固たる意志を持つ者たちです。
一方で彼らの内、名前が知られていない者に関しても、全て一括して信仰します。 アッラーは仰せになりました: 「(使徒よ、)われらはあなた以前、確かに使徒たちを遣わした。彼らの中には、われらがあなたに語って聞かせた者もいるし、その中には、われらがあなたに語って聞かせなかった者もいる...」 [赦し深いお方章:78節]
3-使徒たち(彼らの上に平安あれ)が言ったと正しく伝えられたものを、信じること。
4- 彼ら(使徒たち)のうち、私たちに遣わされた者、すなわち最後の使徒であるムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)のシャリーア(法)を実践すること。
5) 最後の日への信仰:
それは審判の日であり、その日、人間は清算と報いのために復活させられます。 この名称の由来は、その日が天国の住民はそれぞれの住処に、地獄の住民はそれぞれの住処に定着するという最後の日( アル=ヤウム・アル=アーヒル )であることによっています。
最後の日への信仰には、3つの事柄が含まれます:
1- 復活を信じること:
それは、角笛への二吹き目において、死人が蘇されることです。 この時人々は、靴も履いておらず、衣服で身を覆うこともなく、割礼も受けていない状態で、万有の主の御前に立ちます。 アッラーは仰せになりました: 最初の創造を始めたように、われらはそれ(創造)を元通りにするのである。われらにとって(履行)必須の約束として(、復活を約束したのだ)。本当にわれらは、もとより(約束を全う)する者だったのである。 [預言者たち章:104節]
2- 清算と報いを信じること:
そこでは、しもべはその行いについて清算され、それに対する報いを受けます。アッラーは仰せになりました: 本当にわれらにこそ、彼らの(死後の)帰り所があるのだから。 それから、本当にわれらにこそ、彼らの(行いの)清算が委ねられているのだから。 [圧倒的事態章:25‐26節]
3- 天国と地獄を信じること:
また、両者は創造物にとって永遠の帰着点です。 したがって楽園は、至高なるアッラーが敬虔な信仰者たち、ならびにアッラーとその使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)に従った者たちのために用意された至福の住まいです。 そこには、目が見たこともなく、耳が聞いたこともなく、人間が想像もしたことのないものがあります。
地獄については、 それは懲罰の世界であり、 至高なるアッラーが、アッラーを信じず、かれの使徒たちに背いた不信仰者たちのために用意されたものです。 そこには、想像したこともないような様々な種類の罰や懲罰があります。
6) 良いものも悪いものも含めて、定めを信じること:
定命の意味とは: 力強く偉大なるアッラーの知識と英知に基づいて前もってなされた、これから起きる物事に関する緻密な設定です。
そして、定命への信仰には 4 つの物事が含まれます:
1.知識:それは至高なるアッラーの知識を信仰することであり、アッラーが過去にあったこと、未来にあること、そしてそれがどのようであるかの全体と詳細を、無始から永遠にご存知であるということを信仰すること。 至高なるかれは、存在しなかったものが仮に存在したならばどのようになるかをも全てご存知の御方です。 アッラーが仰せになった通りです: そしてたとえ(現世に)戻されたとしても、彼らは禁じられたことに立ち返るのである。 [家畜章:28節]
2.書き留めること:それは、至高なるアッラーが復活の日までの全ての物事の詳細設定を既に書き留められているということ。 アッラーが仰せになった通りです: (使徒よ、)一体あなたは、アッラーが天と地にあるもの全てをご存知になるのを、知らないのか?本当にそれは(余すことなく)、書の中に(記録されて)ある。本当にそれは、アッラーにとって容易いこと。 [巡礼章:70節]
3.ご意思:それは、この宇宙において、アッラーがお望みになったこと以外には何も起こらないということを信仰することです。 アッラーは仰せになりました: あなたの主は、お望みのものを創り、選ばれる... [物語章:68節] 人間には意思がありますが、それはアッラーの意思から外れるものではありません。至高なるアッラーが仰せられている通りです: そしてあなた方は、全創造物の主であられるアッラーがお望みにならない限り、(いかなることも)望むことがないのだ。 [巻き込む章:29節]
4.創造:それは、偉大にして至高なるアッラーがすべての存在をつくり、善も悪も含めてそれらの行いと行為をつくられたことを信仰することです。 アッラーは仰せになりました: アッラーは全てのものの創造主で、かれは全てのことを請け負われるお方であられる。 [集団章:62節]
これらの諸段階は、この詩句にまとめられています:
知識、われらの主の筆録、ご意志、そしてその創造であり、それは創出と形成である。
第三節:イフサーン:
イフサーン:それは一つの柱であり、アッラーを見ているかのように、アッラーを崇めることです。たとえアッラーが見えていなくても、アッラーはあなたを見ています。
つまり、人があたかも偉大かつ荘厳なるアッラーの御前に立っているかのように、アッラーが崇拝行為としてご命じになったことを実行するということです。 そのことは、かれ(讃えあれ)に対する完全な畏敬の念と帰依を必然的に伴うのです。 また、使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナに従って崇拝行為を実践することが必須となります。
イフサーンには2つの段階があり、その実践者は2つの境地にあります:
第一の境地:観照の境地であり、それは両者のうちで最も高いものです。 それは、しもべがまるで自らの心で偉大なるアッラーにまみえるかのように行動することです。そうして心は信仰によって照らされ、ついには目に見えないものが、目の当たりにしているもののようになるのです。
第二の境地:真摯さと自己監視の段階。 それは、しもべが、アッラーが自身を御覧になり、見通しておられることを意識するよう努めることです。彼がこれを意識したならば、彼は至高なるアッラーに対して純粋に仕える者なのです。
第四節:スンナと共同体の民の原理の簡潔な概要:
第一に:啓典とスンナにあることに、内面的にも外面的にも従うこと、 またいかなる人の言葉も、偉大にして至高なるアッラーの言葉、およびその使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の言葉より優先させないことです。
第二に:アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の教友たちに対して平安な心と言葉を向け、 そしてアッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の後のカリフはアブー・バクル、次にウマル、次にウスマーン、次にアリー(彼ら全てにアッラーのご満悦あれ)であると考えることです。
第三に:アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の家の人びとへの敬愛と支持。そして、彼(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の家の人びととは、特に彼らのうちの正しい人びとのことです。
第四に:指導者たちや統治者たちに対し、たとえ彼らが不公正であっても反逆しないこと、 そして、彼らのために正しさと安泰を祈願し、 また、彼らに対して不幸を祈らないことです。 そして彼らへの服従は、彼らが罪を命じない限り、荘厳かつ偉大なるアッラーへの服従に基づく義務です。 しかし、もし彼らが違犯を命じたならば、そのことにおいて彼らに従うことはありません。 それ以外の事柄においては、正しいことにおいて彼らに従うことは継続されます。
第五に:アウリヤー(アッラーに近しい者たち)の奇跡を信じること。 それは、アッラーがかれらの手によって実現される、普通は起こり得ないことです。
第六に:彼らは単なる罪や大罪をもって、キブラの民を不信仰者と見なすことはなく、 ハワーリジュ派が行うようにはしません。 むしろ、違犯があっても信仰に基づく同胞愛の絆を築きます。 罪を犯す者について:「彼は自らの信仰ゆえに信仰者であり、自らの大罪ゆえに宗教的放埓者(ファースィク)である。」と表現します。
第二部:イバーダート(崇拝行為)に関する事項
第一節:タハーラ(清浄):
語義としてのタハーラとは:具体的、あるいは抽象的な穢れを被っていない、清浄な状態のことをいいます。
イスラーム法において:外面的な汚れや内面的な穢れを取り除くことです。 そして、タハーラはサラー(礼拝)の鍵であり、 それゆえ、それを学ぶことは宗教の事柄における最大の重要事項の一つであり、全ムスリムが学び、重んじるべき義務を課されたものなのです。
第一に:水の種類:
1- タフール(清浄なもの);それを用いてタハーラを行うことが有効とされます。 創造された時の(本来の)状態、 つまり、雨水や川の水、海の水、 あるいは、清浄な物質が混ざっても、水量の大部分を占めず、水の呼び名自体が変化しない場合。
2- 不浄な水:タハーラ(浄め)を行う際に使用が禁じられます。 それはハダス(儀式的不浄)を取り除くことはできず、 また、ナジャーサ(物質的不浄)を除去することもできません。 それは、その自然の色や匂い、風味のいずれかが不浄な物質によって変化してしまった類のものです。
第二に:不浄なもの:
不浄なものとは:特定の汚れのことで、 それはサラーを妨げます。 尿や便、血液などのことであり、身体や場所、そして衣服につくものです。
あらゆる物事の基本は、許容されており清浄です。 何かが不浄であると主張する者には、その証拠が求められます。 痰、人間の汗、およびロバの汗はナジャーサ(不浄なもの)ではありません。たとえそれらが汚いものであったとしても、むしろ清浄なのです。 すべての不浄なものは汚れたものですが、その逆ではありません。
不浄なものには3つの段階があります:
1‐ 重度の不浄なもの;
例:犬が舐めたもの。 それを清める方法は、7回洗うことです。そしてその1回目は、砂で洗います。
2- 軽度の不浄なもの:
乳児の男の子が用を足して衣服などに付着した場合のように。 それを洗浄する方法は、全体が十分に浸るまで水をかけることです。こすったり、絞ったりする必要はありません。
3- 中程度の不浄なもの:
これには、人間の尿や糞便、そして地面や衣服などに付着したほとんどの物質的不浄物が含まれます。 それを清める方法は:不浄物が物質として実体がある場合にはそれを取り除き、水、あるいはその他の洗浄手段を用いてその箇所を洗浄することです。
不浄であることの根拠が確立されているもの:
1‐人間の尿と糞便。
2- マズィーとワディー [5] [5] (マズィー):愛撫した時、性交を思い浮かべた時やそれを望んだ時、見つめた時、あるいはその他の状況において排出される無色で薄い液体のことです。滴状になって排出され、排出されたことに気づかないこともあります。 (ワディー):排尿の後、あるいは重い物を運ぶ時に排出される、白く濃い液体のことです。
3- 食肉が禁じられている動物の糞。
4‐ 月経血と産後の出血。
5- 犬の唾液。
6- 死体、ただし以下のものは例外とされます:
a- 人間の遺体。
b-魚類とイナゴの死骸。
c-ハエやアリ、ハチなどのように、流れる血を持たない生き物の死骸。
d-死骸の骨、角、爪、毛、羽毛。
不浄からの清め方は次の通りです:
1- 水を用いること。それが汚れを浄める際の基本であり、それ以外のものに代えられることはありません。
2‐ イスラーム法における、不浄な物または不浄が付着した物を清浄にする仕方:
a- 死んだ動物の皮は、なめすことで清浄になります。
b - 犬がよだれを垂らした器を清浄な状態にするには、それを7回洗浄し、その1回目は砂で洗います。
c- もし衣服に月経の血がついた場合は、それをこすり落とし、次に水で揉み洗いし、それから水をかけて洗い流します。その後で跡が残ったとしても、問題ありません。
d- 女性の服のすそは、その後のきれいな地面に(引きずることに)よって清浄になります。
e- 男の乳児が用を足して衣服に付着した汚れには、水をかけ、女児の場合には水で洗い落とすことで清浄になります。
f- マズィーが付着した衣服を清めるには、その場所に水を振りかけます。
g- きれいな地面で拭くことで、靴の底は清められます。
h- 地面の汚れ:その場所にバケツ一杯の水をかけるか、日光や風で乾くまでそのままにします。汚れの跡がなくなれば、清浄となります。
第三に:ウドゥーを要する状態にある者が行うことを禁じられること:
ウドゥーまたはグスルを要する状態にある者が禁じられること:
1- 義務であれ任意であれ、サラー; イブン・ウマル(彼にアッラーのご満悦あれ)から伝えられているところによれば、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「アッラーは浄めなくしての礼拝はお受け入れにはなられない」[6] [6] ムスリム(224)の伝承。
2- ムスハフ(書体としてのクルアーン)に触れること。 使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)がアムル・ブン・ハズムに宛てて書いた書簡に述べられているように、その中で彼は次のように言っています: 「クルアーンに触れることができるのは、清浄な者だけである」[7]。 [7] マーリクの「アル=ムワッタ」(680および219)、アッ=ダーリミー(312)、アブドゥッラッザークの「ムサンナフ」(1328)、アル=アルバーニーは「イルワーウ・アル=ガリール」(122)でサヒーフとしている。
3- カアバをタワーフすること。 預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「カアバをタワーフすることは礼拝です。ただし、アッラーはその中で話すことをお許しになりました。」 [8] かつて預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)はタワーフのためにウドゥーを行いました。 そして、彼(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が月経の状態にある女性に対し、身体が清浄な状態になるまでカアバ神殿の周囲をタワーフすることを禁じたことは、真正な伝承として正しく伝えられています。 [8] アン=ナサーイー(12808)とアフマド(15423)の伝承。アルバーニーは著「イルワーウル=ガリール」(121)で正しい伝承としている。
一方、グスルを要する状態にある者に特に禁じられること:
1- クルアーンを読むこと。 アリー(彼にアッラーのご満悦あれ)のハディースによると: 「彼――すなわち預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)――をクルアーンから遮るものは、大穢れ(ジャナーバ)以外には何もありませんでした。」[9] [9] イブン・マージャ(594)とイブン・ヒッバーン(799)の伝承。アルバーニーは『ダイーフ・スナン・アッ=ティルミズィー』(146)においてこれを弱伝承と判定している。
2- ウドゥーなしにマスジドに留まること。 アッラーは仰せになりました: 信仰する者たちよ、あなた方が酔っ払った時には、自分の言うことが理解出来るようになるまで礼拝に近付いてはならない。また、ジャナーバの状態にある時も、ただそこを通過する者以外は、全身沐浴した後で、なければ(礼拝と礼拝所に近付いてはならない)。 [婦人章:43節]
したがって、大汚の状態にある者がウドゥーをしたならば、マスジドでの滞留が可能です。また同様に、大汚の状態にある者がマスジドに留まることなく、単なる通過としてマスジドを通り抜けることも問題ありません。
第四に:トイレの礼儀作法:
用を足すときに推奨されること:
1- 用を足すときは、人から離れて姿を隠すこと。
2- 入るときには、伝えられているドゥアーを次のように言います: 「アッラーよ、私はあなたに男女のシャイターンからのご加護を乞います。」 [10]。 [10] ブハーリー(142)とムスリム(122)の伝承。
用を足すときには、次のことを、守らなくてはいけません:
1- 小便からの清浄な状態を保つこと。
2- アウラをかくすこと。
用を足す際に禁じられること:
1- キブラの方に向かうこと、または背を向けること。
2- 人々の通り道や公共の場所で用を足すこと。
3- 溜まり水に排尿すること。
用を足すときに忌避すべきこと:
1- 用を足すときに、右手で性器に触れること。
2- 右手でイスティンジャーとイスティジュマールをすること。
3- 用を足しているときは、話さないこと。特に、アッラーの御名前を口にしないこと。
第五に:イスティンジャーとイスティジュマールの規定:
イスティンジャーとは:水によって2つの排泄器官から出た物質の痕跡を除去することです。
イスティジュマールとは:石やティッシュなどの水以外のものによって、2つの排泄器官から出た物質の痕跡を除去することです。
用便後の清拭に用いる物の条件:
1.合法なものであること。
2.それ自身が清浄であること。
3.清めるものであること。
4.骨や糞ではないこと。
5.アッラーの御名前がある紙などの、丁寧に扱うことが求められるようなものでないこと。
イスティジュマールだけで済ませることが許されるには、2つの条件があります:
1.排出された不浄物が、本来の排泄部位のみに付着していること。
2.イスティジュマールが、清浄な3つ以上の石粒で行われること。
第六に:ウドゥーの法的見解:
3つの崇拝行為においてウドゥーすることが義務となります:
1.サラー(礼拝)。義務であっても、任意であっても。
2.ムスハフに触れること。
3.タワーフ。
ウドゥーの諸条件:
1.イスラーム。
2.理性。
3.分別能力があること。
4.ニーヤ(意図):その場所は心であり、それを言葉に出すことはビドア(新儀)です。 誰であれウドゥーをしようとする者は、すでに意図したことになります。 一方、涼むことや清潔にすることを意図してウドゥーの器官を洗浄することは、ウドゥーではありません。
5.その意志を保つこと:タハーラが終わるまで、途中でやめるつもりがないこと。
6.ウドゥーを必要とする事柄が止まること。 持続的な失禁がある者、およびムスタハーダ(不正出血のある女性)は、例外視される。
7.尿や便が出た人は、ウドゥーの前にイスティンジャーまたはイスティジュマールをすること。
8.水の清浄性と、それがムバーハ(合法なもの)であること。
9.肌に水が直接行き届くのを妨げるものを取り除くこと。
10.常にハダス(持続的に失禁等)がある者の場合、サラーの時間に入っていること。
ウドゥーの諸義務:
1.顔を洗うこと:口をすすぎ、鼻に水を入れて洗うことも含まれます。
2.肘から指先まで、両腕を洗うこと。
3.頭全体を濡れた手でなでること。両耳もなでます。
4.両足を、踝まで洗うこと。
5.ウドゥーの対象の体の各部分を順番に洗うこと。
6.継続して行うこと:体の各部分を洗う間に、長く間を置かないことです。
ウドゥーの形:
1.ビスミッラーと言うこと。
2.手を3回洗うこと。
3.顔を3回洗うこと:口をすすぎ、鼻に水を入れて洗うことも含まれます。
4.両腕を、肘まで3回洗うこと。右手から始め、それから左手を洗うこと。
5.頭と両耳をなでること。
6.右足から始め、それから左足へと、両足を、踝まで3回洗うこと。
ウドゥーを無効にする事柄:
1‐ 糞尿や放屁など、いずれかの排泄器官から排出されるもの。
2‐ 体内から多量の不浄なものが排出されること。
3‐ 睡眠やその他により理性を一時的に失うこと。
4‐ 前であれ後ろであれ、性器に直接触れること。
5- ラクダの肉を食べること。
6‐ イスラームの棄教、アッラーが私たちとムスリムたちをそのことからお守りくださいますように。
第七に:(ウドゥー の際に)ホッフと靴下の上を撫でるだけで済ませることの法的見解:
1- ホッフ:両足に着用する革製のもの。またはそれに類するもの。
2- ジャウラブとは:羊毛や綿、またはそれに類するものからできた、靴下です。
それらの上を撫でるだけで済ませることが許されるための条件:
1.完全なタハーラの後に、それらを履いていることです。
2.両足を踝まで覆うこと。
3.両方が清浄であること。
4.撫でるだけで済ませられる期間内であること。
5.撫でることが、グスルではなく、ウドゥーの際に行われること。
6.ホッフなどが合法なものであること。それが奪われたものであったり、男性にとっての絹であったりした場合、その上を撫でることはできません。なぜなら、禁じられたものによって特例を得ることはできないからです。
撫でるだけで済ませることが許される期間:
定住者には1日、旅行者には3日間。
撫で方:
手を水で濡らし、靴下またはホッフの上部を、足の指先から脛の方へと向けて1回撫でます。
撫でることを無効とするもの:
1.撫でるだけでよい期間が終わってしまうこと。
2.靴下を両方、または片方脱ぐこと。
3.大の穢れが生じること。
(ウドゥー の際に)ホッフの上を撫でるだけで済ませることの法的見解:
それは軽減措置であり、皮革の靴下を脱いで両足を洗うよりも、それを行うことの方が優れています。偉大にして至高なるアッラーの軽減措置を受け入れ、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の例に倣い、異端者たちとは違うようにするためなのです。
ギブスや包帯、絆創膏を濡れた手で撫でること:
添え木やギプスとは:骨折した部位に縛り付けるもので、石膏や木の棒、またはそれに類するもののことを指します。
包帯:傷、打撲、または火傷の上に巻き付ける布からできたもの。またはそれに類するものすべての総称。
絆創膏:治療のために創傷や腫れ物に貼付されるもの。
(ウドゥー の際に)その上を撫でるだけで済ませることの法的見解:
それを残しておく必要性があれば、必要な範囲を超えないという条件で許容されます。
また、その必要性がなくなった場合、あるいはそれを外すことによって困難や害悪が生じない場合には、許されません。
その撫で方:
その周囲を洗い、すべての側面からその上を撫でます。 ウドゥーの部位を超える部分は撫でません。
第ハに:タヤンムムの法的見解:
タヤンムムとは:タハーラをニーヤ(意図)しつつ、特定の方法で土地の表面を用いて顔と両手を撫でることです。
その法的位置づけ:
水が見つからない場合、あるいは水の使用が出来ない場合には、ウドゥーとグスルの代わりにタヤンムムを行わなければなりません。
それが定められたことに潜む英知:
タヤンムムはムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の共同体独特のもので、 過去の諸共同体においては知られていなかったことですが、これはこの共同体に対するアッラーからの寛大さと、かれからの恩寵です。
タヤンムムが規定される状況:
1.水がない場合。定住中であれ旅行中であれ、探しても水が見つからなかった場合。
2.飲むためや料理するために必要な水を持っているが、もしそれで体を清めれば必要な分に支障をきたし、自分自身、もしくは尊重されるべき他の人間や動物が喉の渇きに苦しむ恐れがある場合。
3.水を使用することによって病気により身体に悪い影響が及ぶこと、あるいは治療の妨げとなる心配がある場合。
4. 身動きが取れない病気により水を使用することが出来ず、ウドゥーをさせてくれる者もおらず、サラーの時間が過ぎてしまう恐れがある場合。
5. もし水を使用することによって寒さによる害が及ぶ心配があり、水を温めるものが見つからなかった場合には、タヤンムムをしてサラーします。
タヤンムムの形:
指を広げた両手で土に触れます。次に指の内側で顔を撫でます。そして両手のひらで両手を撫でます。その際、顔と両手全体を隈なく撫でるようにします。
タヤンムムが無効となること:
1.タヤンムムの理由が、水が見つからなかったことによるものであった場合、水が見つかること。 あるいは、水の使用が出来ないためにタヤンムムを行った場合において、その使用が可能になること。
2.ウドゥーを無効にする事柄のいずれか、あるいは性交や月経・産後の出血など、グスルを要する状態に陥ることによって無効となる。
水の使用およびタヤンムムが出来ないことの規定:
水も土もない場合、あるいは肌に水や土を触れさせることが出来ないような状態に至った場合は、ウドゥーもタヤンムムもないそのままの状態でサラーします。なぜならアッラーは、何人にもその能力以上の負担を課されることはないからです。 もしその後、水や土が見つかったとしても、あるいはそれらを使用することができるようになったとしても、行った礼拝をやり直す必要はありません。すでに命じられたことを果たしたためです。 アッラーは仰せになりました: ならば(信仰者たちよ)、出来る限りアッラーを畏れ… [騙し合い章:16節] 預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の言葉: 「私があなた方に何かを命じたなら、あなた方のできる範囲でそれを行え」[11] [11] ブハーリー(7288)とムスリム(6066)の伝承。
補足:もし性的な不浄の状態(ジャナーバ)にある時にタヤンムムを行い、その後水が見つかった場合には、グスルを行います。
第九に:月経と産後の出血の法的見解:
第1:月経:
自然出血で、決まった時期に子宮の基底から排出されます。 そして大方の場合は、毎月6,7日間に渡って排出されることになりますが、長くも短くもなります。 女性の月々の周期は、至高なるアッラーが備えられた性質に応じて、長くなることもあれば短くなることもあります。
月経中の女性に関する諸規定:
1- 月経中の女性は、月経中サラーもサウムも行いません。また、それらを行っても有効とはなりません。
2- 月経中の女性は、月経から清浄な状態に戻ったら、サラーではなくサウムを補うことになります。
3- 月経中の女性は、カアバをタワーフすることは許可されません。 そして、クルアーンを誦みません。 また、モスクで座りません。 4- 夫は、妻の月経が終わってグスルを行うまで、彼女と性交を持つことを禁じられます。
5- 夫が、月経中の妻にキスしたり、触れたりするなどして、性交以外の方法で親密なふれあいを楽しむことは許されています。
6- 夫は、妻が月経中である時に離婚宣告することは許されていません。
清浄とは出血が止まることです。出血が止まったならば、彼女は清浄となり、月経期間が終了したことになります。したがって、彼女はグスルを行わなければなりません。 その後、月経によって禁じられていた行為を行います。
もし清浄な状態になった後に褐色のおりものを見たとしても、それを気に留める必要はありません。
第2:産後の出血:
それは出産時あるいはその後に子宮から分泌される出血のことであり、妊娠期間中に留まっていた血液の残りです。
産後の出血は、許されていることにおいて月経と同様です。例えば、膣以外の部分での接触を楽しむことなどがこれに当たります。
禁じられている事柄としては、性交、サウム、サラー、離婚、タワーフ、クルアーンの読誦、そしてマスジドに留まることなどが挙げられます。 出血が止まった際にグスルが義務となることについては、月経中の女性と同様です。
彼女にはサラーではなくサウムを補う義務があります。したがって、月経中の女性と同様に、サラーを補うことはしません。
そしてその最長期間は40日であり、 もし産後の出血が40日間より早く収まった場合、産後の出血期間は終了したことになります。そしてグスルをしてサラー(礼拝)を行い、産後の出血によって禁じられていたことを再開します。
第二節:礼拝:
第一に:アザーンとイカーマに関する諸規定:
アザーンはヒジュラ暦元年に定められました。 それが規定された理由:(礼拝の)時間を知ることが困難になった際、そのための合図を設けることについて協議されました。 そうしてアブドッラー・ブン・ザイド(アッラーのご満悦あれ)は、眠りにおいてこのアザーンを見せられ、啓示がそれを承認しました。
アザーンとは:サラー(礼拝)の規定時間の到来を知らせることです。 また、イカーマとは:サラーの開始を知らせることです。
またアザーンとイカーマは、義務のサラーにおいて男性の集団に課された連帯義務であり、 この2つはイスラームの顕著な儀礼であり、それらを放棄することは許可されません。
アザーンの諸条件:
1.アザーンする者が男性であること。
2.アザーンの順序が保たれていること。
3.アザーンの連続性が保たれること。
4.サラーの時間に入った後にアザーンを唱えること。 また例外として、ファジュルとジュムア(金曜礼拝)における最初のアザーンがあります。
アザーンのスンナ:
1. 両耳に人差し指を入れること。
2.時間の初めにアザーンを言うこと。
3.「ハイヤー・アラッサラー(礼拝に来たれ)」と「ハイヤー・アラルファラーハ(成功に来たれ)」という呼びかけの際、右と左を向くこと。
4.よい声であること。
5.アザーンの言葉を、極端に引き伸ばしたり過剰に長くしたりせずに、ゆっくりと唱えること。
6.その一文ごとに止まること。
7.アザーンの時は、キブラの方に向くこと。
アザーンは、ビラール(彼にアッラーのご満悦あれ)がアッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の前で常にアザーンを行っていた通り、15の文章からなります。
アザーンの言葉:
「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」:4回。
「アシュハドゥ アッラー イラーハ イッラッラー(私はアッラーのみが崇拝に値すると証言する)」:2回。
「アシュハドゥ アンナ ムハンマダン ラスールッラー(私はムハンマドがアッラーの使徒であると証言する)」:2回。
「ハイヤー・アラッサラー(礼拝に来たれ)」:2回。
「ハイヤー・アラルファラーハ(成功に来たれ)」:2回。
それから「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」と2回言います。
そして、「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラー以外に真に崇拝すべきものはない)」で1回締めくくる。
ファジュル(夜明け前のサラー)の際には、「ハイヤー・アラル=ファラーハ(成功へと来たれ)」の言葉の後に、「アッ=サラートゥ・ハイルン・ミナン=ナウム(サラーは眠りに勝れり)」と2回付け足します; 大半の人びとが眠る時間だからです。
イカーマは11の文章からなり、早く唱えます。すなわち、速度を速めるということです。なぜなら、それはその場にいる人々に知らせるためのものであり、ゆっくりと唱える必要はないからです。
そしてその表現は以下の通りです:
「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」:2回。
「アシュハドゥ アッラー イラーハ イッラッラー(私はアッラーのみが崇拝に値すると証言する)」:1回。
「アシュハドゥ アンナ ムハンマダン ラスールッラー(私はムハンマドがアッラーの使徒であると証言する)」:1回。
「ハイヤー・アラッサラー(礼拝に来たれ)」:1回。
「ハイヤー アラルファラーハ(成功に来たれ)」:1回。
「カドゥ・カーマティッサラー(サラーはまさに始まった)」:2回。
「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」:2回。
「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラー以外に真に崇拝すべきものはない)」:1回。
アザーンを聞いた者は、ムアッズィンが言う言葉と同じように唱えることが推奨されます。ただし、「ハイヤー・アラッサラー(礼拝に来たれ)」と「ハイヤー・アラルファラーハ(成功に来たれ)」の時には、「ラー・ハウラ・ワラー・クウワタ・イッラー・ビッラー(アッラー以外にいかなる偉力もなし)」と唱えます。 それから預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)への祈願を行います。 それから、その後に次のように言います: 「アッラーよ、この完成された呼びかけと繰り返し続く礼拝の主よ、ムハンマドに天国における高い位階と栄誉を与え、あなたが彼に約束されたところの賞賛に溢れた位階に彼を蘇らせたまえ(本当にあなたは約束を反故にされる事がありません)。」 [12] [12] 高潔なるシャイフ・アブドゥルアズィーズ・ビン・バーズ(アッラーの御慈悲が彼にありますように)は、自身の『ファトワー集』(29/141)の中で言った。「(アル=バイハキーはジャービルからの良好な伝承経路により、かれの言葉『あなたが約束された』の後に、『誠にあなたは約束を違えられない』と付け加えている)。」
また、次のように言います: 「私はアッラーが主であることに、またイスラームが宗教であることに、そしてムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が預言者であることに満足しました。」[13] [13] ティルミズィー(2635)の伝承。
アザーンの後、正当な理由や戻る意図もなくモスクから出ることは、禁じられています。
2つのサラーをまとめて行う際には、1度のアザーンと、各サラーにおけるイカーマで十分です。
第二に:サラー(礼拝)の位置づけとその徳:
礼拝は、イスラームにおいて2つのシャハーダに次ぐ重要な基幹であり、 それには特別な地位があり、 アッラーがミゥラージュの夜、天界において使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)にそれを義務付けられたからです。 このことは、その偉大さと義務の確実性、そして偉大かつ荘厳なるアッラーの御許における地位を示しています。
その徳、およびそれが各個人に対する義務であることを伝えるハディースは、多くあります。 そしてその義務性は、イスラームの宗教から必然的に知られていることです。
その義務と重要性を示す根拠としてのクルアーンとスンナの明文は多くあります。その中には以下のものがあります:
1- アッラーは仰せになりました: 本当に礼拝はもとより、信仰者に対して定刻に義務づけられているのだから。 [婦人章:103節] すなわち:アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が明確にした時間において義務づけられていることです。
2- アッラーは仰せになりました: そして彼らは、アッラーに真摯に崇拝行為を捧げつつ、純正な状態でかれ(だけ)を崇拝し、礼拝を遵守し、浄財を支払うことしか、命じられはしなかったのだ。 [明証章:5節]
3- アッラーは仰せになりました: それで、もし彼らが(シルクから)悔悟し、礼拝を遵守し、浄財を施したのであれば、(彼らは)宗教(イスラーム)における、あなた方の同胞である。 [悔悟章:11節]
4- ジャービル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「人間と、シルクと不信仰の間にあるものは、サラー(礼拝)の放棄である。」 [14] [14] ムスリム(82)の伝承。
5- ブライダ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「私たちと、彼らとの間の取り決めは、サラー(礼拝)である。サラーを放棄した者は、不信仰に陥ったのである。」[15] [15] ティルミズィー(265)の伝承。彼は「ハサン・サヒーフ・ガリーブ」と述べており、アルバーニーは『サヒーフ・アッ=タルギーブ・ワ・アッ=タルヒーブ』においてこれをサヒーフとしている。
それが義務であることを否定する者が不信仰に陥ったことについて、学者間の意見は一致しています。 一方、怠惰や無頓着ゆえにそれをしない者についても、先述の真正なハディースとこの件に関するサハーバたちの合意に基づき、同様に不信仰に陥ったと見なすのが最も正しい見解です。
第三に:サラー(礼拝)の諸条件:
1.サラーの時間に入っていること:
アッラーは仰せになりました: 本当に礼拝はもとより、信仰者に対して定刻に義務づけられているのだから。 [婦人章] すなわち、定められた時間に義務づけられているということです。
義務のサラーの規定時間は以下の通りです:
A-ファジュル:ファジュル(暁)の後から日が昇るまで。
B-ズフル:太陽が正中から傾く頃から、全ての影がその物自体の長さと同じ長さになる頃までです。
C-アスル:ズフルの時間帯の終了時から、太陽が黄色くなる頃までです。何らかの理由でそれまでに行えなかった場合は、太陽が沈む前までです。
D-マグリブ:日没から、その際に現れる赤い残光が消失するまで。
E-イシャー:マグリブの時間の終了から、夜半までです。
2.アウラをかくすこと:
それは覆うことが義務付けられ、露出することが醜悪とされ、羞恥の対象となるものです。 男性のアウラ(人前で隠さなければならない体の部位)はへそから膝まで、 サラーにおける女性のアウラは顔を除く全身です。 知らない男性などの前、すなわち彼女にとってマハラムではない男性の前では顔を覆うようにします。
3.ナジャーサ(不浄なもの)を避けること:
不浄なものとは特定の汚物であり、糞尿や血液などのように、その種類が礼拝を妨げるものである。それらは身体や場所、衣服に付着するものです。
4.キブラに向かうこと:
キブラとは尊きカアバ殿のことです。人々がそれに向かうことから、キブラと名付けられました。
キブラの方角へ向けることなくして、サラーは成立しません。 アッラーは仰せになりました: また(ムスリムたちよ)、どこにあろうとも、(礼拝の時は)あなた方の顔をそちらへと向けるのだ。 [雌牛章:144節]
5.ニーヤ(意思):
それは語義としては:意図することであり、イスラームの定義としては:至高なるアッラーに近づくためのイバーダ(崇拝行為)を試みようとするものです。 その場所は心であり、それを言葉で発する必要はありません。むしろ、それはビドアです。
第四に:礼拝の柱:
14の柱があります:
第一の柱:そうできるなら起立すること:
アッラーは仰せになりました: アッラーに向かい、恭しく(礼拝に)立つのだ。 [雌牛章:238節] また、イムラーン(彼にアッラーのご満悦あれ)による、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)に遡るハディースによると: 「立ってサラーせよ。もしそれが出来なければ座って、そしてもしそれも出来なければ横になって行うのだ。」 [16] [16] ブハーリー(1117)の伝承。
もし病気のために起立出来なければ、その状態に応じて、座位姿勢で、あるいは横になってサラーします。 病人と同様の扱いとなるのは、恐れを抱く者、裸の者、そして起立しないことが求められる治療のために座るか横になる必要がある者です。 また、起立することができないモスクのイマームの後ろでサラーする者も同様に、起立しないことに対する正当な理由があると見なされます。従って、イマームが座位でサラーを行った場合、その後ろの者たちもイマームに従って座位でサラーを行います。 任意のサラーは、例え起立することが出来たとしても座って行うことが出来ます。ただし、その報奨は立って行う者の報奨と同様にはなりません。
第二の柱:その最初のタクビーラトゥ・アル=イフラーム:
預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「それからキブラに向かい、タクビールしなさい。」[17] [17] ブハーリー(6251)とムスリム(884)の伝承。
その言葉は、「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」と言うことであり、それ以外の言葉では有効になりません。
第三の柱:アル=ファーティハ章を読むこと:
預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「クルアーンのアル=ファーティハ(第1章の開端章)を誦まない者の礼拝は無効である。」[18] [18] ブハーリー(756)とムスリム(872)の伝承。
第四の柱:各ラカアにおけるルクーゥ(立礼):
アッラーは仰せになりました: 信仰する者たちよ、ルクーゥし、サジダし... [巡礼章:77節]
第五と第六の柱:
ルクーゥから立ち上がること、そしてその前の状態と同じようにまっすぐ立って姿勢を安定させること。なぜなら預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)がそれを継続して行っていたからです。
預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は礼拝を正しく行わなかった者に言いました: 「そのあとルクーゥから、まっすぐ立ち上がりなさい。」 [19]. [19] ブハーリー(793)とムスリム(398)の伝承。
第七の柱:7つの部位をつけてサジダ(平伏礼)すること:
それは鼻と額、両手、両ひざ、両足の指先です。 預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「私たちは7つの骨をつけてサジダ(平伏礼)するよう、命じられた。つまり、額-自分の手で鼻を指した-、両手、両膝、両足先である。」[20] [20] ブハーリー(812)とムスリム(490)の伝承。
第八の柱:サジダから元の状態に戻ることと、2つのサジダの間に、座った状態でいること:
アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)のハディースによれば: ≪預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)はサジダから頭を上げた時、真っすぐな姿勢で座るまでサジダしませんでした。≫ [21] [21] ムスリム(498)の伝承。
第九の柱:すべての柱において落ち着いた状態を保持すること:
それは、わずかであっても落ち着いていることです。預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は礼拝を正しく行わなかった者に言いました: 「落ち着くまで」 [22] [22] ブハーリー(724)とムスリム(398)の伝承。
第十および第十一の柱:
最後のタシャッフドとその座り方:イブン・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)はマルフーウ(預言者に遡る伝承)として伝えました: 「あなたがたのうち誰かが礼拝をする時は、次のように言いなさい。『全ての讃美と祈りと善きものはアッラーに(捧げられます)。預言者よ、あなたの上に平安とアッラーのご慈悲と祝福がありますように。私たちに、そしてアッラーの敬虔なしもべたちに平安あれ。私はアッラー以外に真に崇拝すべきものは無いことを証言します。そして私はムハンマドがアッラーのしもべであり使徒であることを証言します。』」[23] [23] ブハーリー(797)とムスリム(402)の伝承。
第十二の柱:最後のタシャッフドにおける預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)に対する祝福祈願:
次のように言います: 「アッラーよ、ムハンマドに栄誉をお授け下さい。」[24]、 そして、上記の言葉に付加したものはスンナ(預言者の慣行)です。 [24] ティルミズィー(839)の伝承。
第十三の柱:柱の間の順序:
預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は以前それを順番通りにされていたからです。 彼は言いました: ≪私が礼拝するのを見た通りに礼拝しなさい≫[25] そして彼は、礼拝を正しく行えなかった者に対し、それを「ثم(それから)」を用いて順序立てて教えられました。 [25] ブハーリー(6008)の伝承。
第十四の柱:タスリーム:
預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「そしてその終わりはタスリーム(サラームの挨拶)である」、 また彼は言いました: 「そしてそれを解くのはタスリームである」[26] [26] ブハーリー(1110)の伝承。
第五に:サラー(礼拝)における義務行為:
それは8つです:
1.タクビーラトゥ・アル=イフラーム 以外の全てのタクビール。
2.「スブハーナ・ラッビヤルアズィーム(私の偉大な主に讃えあれ)」という言葉を、ルクーゥの時に1回は言うこと、 三回まで増やすことが推奨されており、これが最良となるための最も少ない回数です。 そして10までであり、それがその最高です。
3.イマームと、一人でサラーをする者が、ルクーゥから起き上がるときに「サミアッラーフ・リマン・ハミダフ(アッラーはかれを讃える者を、聞いて下さる)」と言うこと。
4.「ラッバナー・ワ・ラカルハムド(私たちの主よ、あなたに讃えあれ)」という言葉を、ルクーゥからの直立の時に言うこと。
5.「スブハーナ・ラッビヤルアァラー(私の至高の主に讃えあれ)」という言葉を、サジダの時に1回は言うこと、 そして、3回まで増やすことがスンナです。
6.「ラッビグフィル・リー」という言葉を、2つのサジダの間に1回言うこと、 また、3回まで増やすのがスンナです。
7.1回目のタシャッフド。次のように言います: 「アッ=タヒイヤート・リッラーヒ、ワッ=サラワート・ワッ=タイイバート。アッ=サラーム・アライカ・アイユハン=ナビイユ・ワ・ラフマトッラーヒ・ワ・バラカートゥフ。アッ=サラーム・アライナー・ワ・アラー・イバーディッラーヒッサーリヒーン。アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー。ワ・アシュハド・アンナ・ムハンマダン・アブドフ・ワ・ラスールフ(全ての讃美と祈りと善きものはアッラーに(捧げられます)。預言者よ、あなたの上に平安とアッラーのご慈悲と祝福がありますように。私たちに、そしてアッラーの敬虔なしもべたちに平安あれ。私はアッラー以外に真に崇拝すべきものは無いことを証言します。そして私はムハンマドがアッラーのしもべであり使徒であることを証言します。)」[27] [27] ブハーリー(835)の伝承。
8.1回目のタシャッフドのために、座ること。
第六に:サラー(礼拝)におけるスンナ:
サラーのスンナは、それをやり損ねてもサラーが無効になることはありません。 これには2種類あります:①言葉のスンナと、②動きのスンナです。
第一に:言葉のスンナ:
1.イスティフターフ(礼拝開始)のドゥアー:これには複数の形式があり、その中には以下のものがあります: 「スブハーナカッ=ラーフンマ・ワ・ビハムディカ、ワ・タバーラカスムカ、ワ・タアーラー・ジャッドゥカ、ワ・ラー・イラーハ・ガイルカ。(あらゆる欠陥や不完全性から遥かに無縁な)崇高なアッラーよ、あなたを讃美します。あなたの御名は祝福に溢れ、あなたのご偉力は至高です。あなたの他に真に崇拝すべきものはありません。」[28]。 [28] ブハーリー(743)とムスリム(399)の伝承。
2.アル=ファーティハ(クルアーン第一章)の前に、悪魔からのご加護を求めること。 それは「アウーズ・ビッ=ラーヒ・ミナッ=シャイターニッ=ラジーム(私はアッラーに呪われるべきシャイターンからのご加護を求めます)」と唱えることです。
3.読む前にバスマラを言うこと。 それは、「ビスミッラーヒ・ッラフマーニ・ッラヒーム(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において)」と唱えることです。
4.ルクーゥとサジダの際のタスビーフ、つまり「スブハーナ・ラッビヤルアズィーム(私の偉大な主に讃えあれ)」という言葉をルクーゥの際に、「スブハーナ・ラッビヤルアァラー(私の至高の主に讃えあれ)」という言葉をサジダの際に、それぞれ2回以上言うことです。
5.次の言葉を1回より多く言うこと: 「ラッビッグフィル・リー(主よ、私をお赦し下さい。)」 2つのサジダの間で唱えます。
6.次の言葉を言います: 「ミルアッ=サマーワート、ワ・ミルアル=アルド、ワ・ミルア・マー・バイナフマー、ワ・ミルア・マー・シイタ・ミン・シャイイン・バアド(あなたへの讃美は天地とその間にあるもの、そしてあなたの望むその他全ての物を満たします。)」 次のように言った後: 「ラッバナー・ワ・ラカ・アル=ハムド(私たちの主よ、そしてあなたにこそ全ての称賛があります)」[29]。 [29] ティルミズィー(266)の伝承。
7.アル=ファーティハ(クルアーン第一章)の後に、読むこと。
8.次のように唱えます: 「アッラーフンマ・インニー・アウーズ・ビカ・ミン・アザービ・ジャハンナム、ワ・ミン・アザービ=ルカブル、ワ・ミン・フィトナティ・アル=マハヤー・ワ・アル=ママート、ワ・ミン・フィトナティ・アル=マスィーヒ・アッ=ダッジャール(アッラーよ、私はあなたに地獄の業火の懲罰と墓の中の懲罰、生と死の試練と偽メシアの試練からのご加護を求めます。)」[30] 最後のタシャッフドにおいて、それに付け加えられるドアー。 [30] ムスリム(588)の伝承。
第二に:行為的スンナ:
1.以下の4つの箇所において、両手を肩か耳の高さまで上げること:
a.タクビーラトゥ・アル=イフラームの際。
b.ルクーゥをする際に、両手を上げること。
c.ルクーゥから元の状態に戻る際に、両手を上げること。
d.3ラクア目に立つ際に、両手を上げること。
2.ルクーゥの前後の立っている間、右手を左手の上に重ねて胸の上に置くこと。
3.サジダのとき額を付けるあたりの場所を、いつも見るようにすること。
4.サジダするとき、両腕を腋から離すこと。
5.2つのサジダの際に、腹部を両太ももから離すこと。
6.3,4ラカートからなる礼拝の最後のタシャッフドの時を除き、礼拝の全ての座位時に、右足を立て、左足の上に座ること。
7.3ラカートまたは4ラカートの礼拝の最後のタシャッフドの際、タワッルク(例:右足を立て、寝せた左足を右足の腿とふくらはぎの下から外側に出し、お尻は地面に直接つけて座る形)の座り方をすること。
第七に:礼拝の形式:
1- アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は、サラー(礼拝)に立つとき、キブラの方向に向かい、両手を上げ、両手の指の腹をキブラの方向に向け、次のように述べたものでした: 「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)。」
2- 右手で左手を握り、両手を胸の上に置きます。
3- それから、イスティフターフ(礼拝開始)のドゥアーをします。ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は、いつも同じ1つの祈りだけを続けることはありませんでした。 したがって、彼(預言者)から伝わる確かな礼拝開始のドゥアーであれば、そのどれを用いて礼拝を開始しても許されます。その中には次のようなものがあります: 「(あらゆる欠陥や不完全性から遥かに無縁な)崇高なアッラーよ、あなたを讃美します。あなたの御名は祝福に溢れ、あなたのご偉力は至高です。あなたの他に真に崇拝すべきものはありません。」
4- それから次のように言います: 「アウーズ・ビッラーヒ・ミナッシャイターニッラジーム(私はアッラーに呪われるべきシャイターンからのご加護を求めます)ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーム(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において)」
5- それからファーティハ章を読み、読み終えたら、「アーミーン」と言います。
6- それから、クルアーンの別の個所から、クルアーンのスーラ(章)か、あるいは適当なクルアーンの一部を選んで読みます。 そしてファジュルと、マグリブとイシャーの最初の2ラクアは、声を出して読みます。 そしてそれ以外では、声を潜めて読誦します。 また、すべてのサラーにおいて、1ラクア目は2ラクア目よりも長くします。
7- 次に、礼拝開始(イスティフターフ)の時に上げたのと同じように、両手を上げます。 それから「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」と言い、 そしてルクーゥをします。 指を開いた両手を両ひざに置いてしっかりと固定し、背中を真っ直ぐに伸ばし、頭を背中と同じ高さにし、上げたり下げたりしません。 そしてこう言います: 「スブハーナ・ラッビヤルアズィーム(偉大なる私の主の(あらゆる欠陥や不完全性から遥かに無縁な)崇高さよ。)」(×1回)、 完全な形で最小のものは、前述の通り3回です。
8- 体を起こし、次のように唱えます: 「サミアッラーフ・リマン・ハミダ(アッラーは、かれを賛美する者の声をお聞きになられる)」 そして、ルクーゥの時に上げるのと同じように両手を上げます。
9- ルクーゥ後に真っ直ぐ起立した後、次のように唱えます: 「アッラーフンマ・ラッバナー・ワ・ラカル=ハムド、ハムダン・カスィーラン・タイイバン・ムバーラカン・フィーヒ、ミルアッ=サマー、ワ・ミルア=ル=アルド、ワ・ミルア・マー・バイナフマー、ワ・ミルア・マー・シイタ・ミン・シャイイン・バアド、アハラッ=サナーイ・ワ・ル=マジド、アハック・マー・カーラ・ル=アブド、ワ・クッルナー・ラカ・アブド、ラー・マーニア・リマー・アアタイタ、ワ・ラー・ムウティヤ・リマー・マナアタ、ワ・ラー・ヤンファウ・ザ=ル=ジャッディ・ミンカ・ル=ジャッド(アッラーよ、私たちの主よ、あなたにこそ賞賛あれ。天と地を満たし、またそれらの間にあるものを満たし、またそれら以外にあなたの御意のままにある一切をも満たす、この上なく沢山の、素晴らしい、祝福に溢れた賞賛あれ。称賛と栄光の主よ、しもべが語る最も真実の言葉であり、私たちは皆あなたのしもべです。あなたがお与えになるものを阻む者はなく、あなたがお留めになるものを与える者もありません。そして富貴な者の富貴も、あなたの御前では何の役にも立ちません。)」[31] そして、彼(彼にアッラーの祝福と平安あれ)はこの真っ直ぐ立つことを長めにしていました。 [31] アブー・ダーウード(5168)の伝承。
10- それから、「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」と言ってサジダします。 また、両手を上げず、 額、鼻、両手、両膝、両足先を地面につけてサジダし、 そして、キブラの方に、両手と両足の指を向けます。 サジダでは姿勢を正しくし、 額と鼻を地面につけ、 両手のひらをつき、両肘を上げます。 両上腕を両脇腹から離し、 腹部が両腿につかないようにします。 そして両腿を両脛から(離し)、 そしてサジダの際には、次のように唱えます: 「スブハーナ・ラッビヤルアァラー(至高であられる私の主の(あらゆる欠陥や不完全性から遥かに無縁な)崇高さよ。)」 1回、 前述の通り、最良となるための最も少ない回数は 3回です。 そして、スンナにおいて伝えられているドゥアー(祈願)をします。
11- 「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」と言いながら、頭を上げます。 次に、左足を寝かせその上に座り、右足を立てます。 両手を両腿の上に置き、それから次のように言います: 「アッラーフンマ・グフィルリー、ワ・ルハムニー、ワ・ジュブルニー、ワ・ハディニー、ワルズクニー(アッラーよ、私を御赦し下さい、私に慈悲をおかけ下さい、私を正して下さい、私をお導き下さい、私に糧を与えて下さい。)」[32] [32] ティルミズィー(284)の伝承。
12- それから「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」と言いながらサジダをし、2回目では1回目と同様のことを行います。
13- それからタクビールを唱えながら頭を上げ、両膝と両腿を支えにして、足のつま先で立ち上がります。
14- 真っ直ぐに立ったら、読み始めます。 そして1ラクア目と同じように2ラクア目を礼拝します。
15- それから、1回目のタシャッフドのために、2回のサジダの間に座るときのようにして、イフティラーシュの座り方で座ります。 右手を右腿の上に置き、左手を左腿の上に置きます。 右手の親指を中指の上に置き、輪の形にします。 そして人差し指で指し示し、それを見ます。 そして、次のように言います: 「アッ=タヒイヤート・リッラーヒ、ワッ=サラワート・ワッ=タイイバート。アッ=サラーム・アライカ・アイユハン=ナビイユ・ワ・ラフマトッラーヒ・ワ・バラカートゥフ。アッ=サラーム・アライナー・ワ・アラー・イバーディッラーヒッサーリヒーン。アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー、ワフダフ・ラー・シャリーカ・ラフ。ワ・アシュハド・アンナ・ムハンマダン・アブドフ・ワ・ラスールフ(全ての讃美と祈りとよきものはアッラーに(捧げられます)。預言者よ、あなたの上に平安とアッラーのご慈悲と祝福がありますように。私たちに、そしてアッラーの敬虔なしもべたちに平安あれ。私はアッラー以外に真に崇拝すべきものは無いこと、かれに並ぶものはなく唯一であることを証言します。そして私はムハンマドがアッラーのしもべであり使徒であることを証言します。)」 ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)はこの座位姿勢を短くしていました。
16- それから、タクビールを唱えながら立ち上がり、第三および第四ラクアを行いますが、これらは最初の二つのラクアよりも短く行います。 そしてその両方のラクアでアル=ファーティハ章を読みます。
17- それから、最後のタシャッフドでタワッルクの座り方で座ります。 タワッルクとは、左足を寝かせるようにして右側に出し、右足を立て、お尻を地面につけることです。
18- 次に最後のタシャッフドを行います。これは、1回目のタシャッフドと同様です。 またそれに付け足します: 「アッラーフンマ・サッリ・アラー・ムハンマディン・ワ・アラー・アーリ・ムハンマド、カマー・サッライタ・アラー・アーリ・イブラーヒーム、インナカ・ハミードゥン・マジード、ワ・バーリク・アラー・ムハンマディン・ワ・アラー・アーリ・ムハンマド、カマー・バーラクタ・アラー・アーリ・イブラーヒーム、インナカ・ハミードゥン・マジード(アッラーよ、ムハンマドとその一家に栄光をお授け下さい。あなたがイブラーヒームの一家に栄光を与えられたように。実にあなたはよく讃美される、栄光高いお方であられます。そしてムハンマドとその一家に祝福をお授け下さい。あなたがイブラーヒームの一家に祝福を与えられたように。実にあなたはよく讃美される、栄光高いお方であられます)。」
19- また、地獄の業火の懲罰と墓の中の懲罰、生と死の試練と偽メシアの試練からアッラーのご加護を求めます。 そして、クルアーンとスンナによって伝えられるドゥアーをします。
20- それから右を向いて、こう唱えます: 「アッサラームアライクム・ワ・ラフマトッラー(あなた方の上に慈悲と平安あれ)」、 そして左方向にも同様に唱えます。 キブラに向いた状態でタスリームを始め、顔を左に完全に向けたところでそれを終えます。
第八に:サラーにおける忌避行為:
1- 必要がないのに、振り向くこと。
2- 空に視線をあげること。
3- 必要がないのに目を閉じること。
4- サジダのとき、両腕を床につけること。
5- 必要なく口と鼻を覆うこと。
6- 用を足すのを我慢しているとき、または食べたい食事が目の前にあるときに、サラーをすること。
7- スジュードの痕として額と鼻に付着したものを拭うこと。ただし、サラート(礼拝)の後にそれを拭うことには差し支えありません。
8- 立っているとき、必要もなく、壁などにもたれかかること。
第九に:サラーを無効にする物事:
1- 飲食。
2- 礼拝から外れた言葉を発すること。
3- 笑ったり、大声で笑ったりすること。
4- サラーの基幹やワージブ(義務)のいずれかを、故意に行わないこと。
5- サラーの基幹またはラクアを、故意に増やすこと。
6- イマームより前に、故意にサラームをすること。
7- 不必要に礼拝以外の動作を多く連続して行うこと。
8- サラーの条件のいずれかに反することを行うこと。例えば、ウドゥーが無効になること、アウラ(隠すべき部分)を、故意に露出すること、不必要に体をキブラから大きくそらすこと、ニーヤ(意図)を断つことなど。
第十に:不注意によるサジダ:
不注意とは忘却のことです。預言者((彼にアッラーの祝福と平安あれ)も礼拝(サラー)中に不注意に見舞われることがありましたが、それは不注意がこの人間の性質ゆえのものだからです。 彼の不注意は、アッラーからの真の恩恵であり、彼のウンマに対して宗教を完全なものとするための手段でもありました。彼が不注意に見舞われた際に何をなすべきかという点において、彼らはその先例に従うことができるようにするためです。
不注意によるサジダが規定される原因:
1- 第一の場合:
サラー(礼拝)において付け足すこと、それは動作を付け足すこと、あるいは言葉を付け足すことのいずれかです:
A.動作の付け足し:もしその付け足しがサラーにおける何らかの動作である場合:例えば座るべき所で立ってしまったり、立つべき所で座ってしまったり、あるいはルクーゥやサジダを数多く行ってしまったりした場合において、それらを不注意から行ってしまったのであれば、不注意によるサジダをします。
B.言葉の付け足し:ルクーゥやサジダの際に朗誦することなど。 もしそれを行った場合、不注意によるサジダをすることが推奨されます。
2- 第二の場合:
不注意によるサラーの不足:それは以下の2つの事柄のいずれかによるものです:
A-ルクン(基幹)の放棄:もしこのルクンがタクビーラトゥル=イフラームであった場合、サラーは開始したとは見なされず、不注意によるサジダによってそれを補うことはできません。 もしそのやり損ねた行為が、タクビーラトゥル=イフラーム以外の基幹‐例えばルクーゥやサジダなど‐であり、次のラクアの読誦を始める前までに思い出したら、そこまで戻ってそれをやり直し、かつそれ以降の動作も全てやり直さなければなりません。
もし次のラクアの読誦を開始した後に思い出した場合、そのやり損ねた箇所のあるラクアを無効のものと見なし、それに続くラクアがその代わりとなります。
B-ワージブ(義務)の放棄:たとえば、1回目のタシャッフドや、ルクーゥのときのタスビーフを忘れること。 このような場合、不注意によるサジダを行います。
3- 第三の状態:疑念:
例:ズフルの礼拝において、3ラクア終えたのか4ラクア終えたのか分からなくなってしまった場合、そのような時は:
A.もしいずれかがより確からしいと思われる場合、それに従って行い、不注意によるサジダをします。
B.いずれか判断がつかない場合、明確なものに依拠し、不注意によるサジダを行います。
またもし礼拝の後に疑念が生じた場合、あるいは頻繁に疑念を抱くような場合、その疑念は考慮しません。
補足:不注意によるサジダはタスリームの前に行います:もしそれがやり損ねによるものである場合、あるいは疑念によるものであり、かつ彼の中でどちらがより有力か判断がつかなかった場合です。 タスリームの後に行うのは、余計な付け足しによるものである場合、あるいは疑念に対してより確からしい方に基づいて行動した場合です。 この点に関しては、至高なるアッラーの御心ならば、ある程度の許容範囲が認められています。
第十一に:礼拝が禁じられる時間:
原則として、全ての時間帯においてサラーは可能です。 しかし、イスラーム法によって一部の時間帯にサラーを行うことは禁じられており、それらは以下の通りです:
1‐ファジュル礼拝後から、太陽が昇り、目視で地上から槍1本分の高さほどに上がるまで。
2‐ 太陽が天頂に達してから傾き始めるまでです。それは礼拝が禁じられる時間帯の中で最も短いものです。
3- アスルの礼拝から日没までです。これはサラー(礼拝)が禁じられる時間帯の中で最も長いものです。
禁じられた時間帯に行うことが許されるサラー:
1- 履行できなかったファルド(義務の礼拝)を行うこと。
2‐ 理由を伴うサラー:例として、タヒイヤト・アル=マスジド、タワーフ後の2ラクア、日食のサラー、ジャナーザ(葬儀)のサラーなどがあります。
3- ファジュルのサラー後に、ファジュルのスンナをカダーすること。
第十二に:サラート・アル=ジャマーア(集団礼拝):
それはイスラームの数ある儀礼の中でも最も偉大な儀礼の1つであり、それがマスジドにおける集団礼拝です。 ムスリムは、モスクにおいて1日5回の義務のサラーを行うことが最も重要な服従であり、最も偉大な善行の一つであるということで合意しています。むしろそれは、イスラームにおいて定められた最も偉大なものなのです。
1- サラート・アル=ジャマーアの法的位置づけ:
日々5回の義務のサラーにおいて、モスクでの集団礼拝は、能力のある男性にとっての義務であり、 定住している時でも旅行中であっても、 また平穏な時でも恐怖の時であっても、各人に課せられた義務になります。
集団礼拝が義務であることは、啓典とスンナ、そして何世紀にもわたり先人から後人へと受け継がれてきたムスリムたちの実践によって示されています。
クルアーンにおいて、アッラーは仰せになりました: また(預言者よ)、あなたが彼らと共に(戦場に)あり、彼らを率いて礼拝する時には、(彼らを二つの集団に分け、その)一団をあなたと共に(礼拝に)立たせ... [婦人章:102節] この節は、集団礼拝の義務が確固たるものであることを示しています。 ムスリムは恐怖を感じたとしても礼拝を放棄することは許されませんでした。 もし義務でなければ、恐怖は礼拝を免除するための最も正当な理由であったはずです。 集団礼拝を放棄することやそれを億劫に感じることは、偽信者の最もよく知られた特徴の一つです。
また、スンナからの根拠は、複数のハディースがあります。
『サヒーフ・ムスリム』には、次のように記されています: ある盲目の男がこう言った:「アッラーの使徒よ。私には、私のことをマスジドに連れて行ってくれる人がおりません。」それから彼に、家で(義務の)礼拝をしてもよいかと尋ね、その許可を得た。そして彼がそこを立ち去ろうとした時、アッラーの使徒は彼を呼んでこう言った:「呼びかけ(アザーン)は聞こえるか?」彼が「ええ」と答えると、彼は言った:「ならば、(呼びかけに)応じよ。」 [33] [33] ムスリム(1484)の伝承。
そこで預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は彼に、集団礼拝のためにマスジドへと赴き、呼びかけに応じるよう命じました。彼が盲目であり、困難に直面するにもかかわらず、です。 これは集団礼拝が義務であることを示すものです。
2- 集団礼拝の参加の仕方:
サラーの1ラクアをイマームと共に行うことによって集団礼拝に参加したことになります。 預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「サラー(礼拝)の 1ラクアに間に合った者は、サラーに間に合ったことになる」[34] [34] ブハーリー(609)とムスリム(602)の伝承。
3- ラクアに間に合う条件:
ルクーゥに間に合うことによって、ラクアに間に合ったと見なされます、 後から礼拝に入る者がイマームのルクーゥに間に合った場合、起立姿勢でタクビーラトゥ・アル=イフラームをし、そしてルクーゥのためにもう一度タクビールをしてからルクーゥに入らなければなりません。 もし起立姿勢でタクビーラトゥ・アル=イフラームのみにとどめたとしても、それはルクーゥのためのタクビールの代わりとして十分と見なされます。
4- 集団礼拝への参加義務を免じられる正当な理由:
1- 病気により、金曜礼拝や集団礼拝への参加が困難な場合。
2- 尿意や便意を抑えること。それらを抑えることは礼拝における敬虔さが失われる結果をもたらし、また身体に害を及ぼすためです。
3- 食事が用意されており、空腹であるか、または食べ物を切望していること。ただし、これを集団でのサラー(礼拝)を欠席するための習慣や口実としないこと。
4- 生命や財産、またはその他のものに対する確実な恐れ。
第十三に:恐れの状態にある時の礼拝:
「危険な状態にある場合のサラー」は、不信仰者、反逆者、武力で敵対する者との戦いといった、合法的なあらゆる戦いにおいて規定されています。それは至高なるアッラーの次のお言葉に基づいています: もし不信仰に陥った者たちが危害を加えてくる恐れがあるならば… [婦人章:101節] この類推は、戦闘が許される他のあらゆる場合にも当てはまります。
「危険な状態にある場合のサラー」が規定されるには、2 つの条件が必要です:
1)敵が、戦うことを許されている者であること。
2)礼拝中にムスリムが攻撃されることを恐れること。
「危険な状態にある場合のサラー」の形:
その方法はいくつかあります。そしてそのよく知られたものについては、サフル(彼にアッラーのご満悦あれ)のハディースに次のように記されています: 1団が預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)と共にサラーの列に並び、別の1団は敵の方向に向かって立ちました。彼は共にいた1団を率いて1ラクア終えると起立したまま静止し、彼と共にサラーをしていた1団はそのまま自分たちで完遂しました。その後サラーを終えた1団はその場を離れ、敵の方向に向かって列を作りました。今度は別の1団がやって来て、彼は新しい1団を率いつつ彼にとっての残りの1ラクアを完遂しました。その後、座位姿勢のまま静止し、後方の1団が彼ら自身で完遂すると、彼らと共にタスリームしました[35]。 [35] ブハーリー(4130)とムスリム(842)の伝承。
「危険な状態にある場合のサラー」から得られる教訓:
1- イスラームにおけるサラー(礼拝)の重要性、および集団礼拝の重要性。このような危機的状況においても、それは免除されることはありません。
2- この共同体から困難が軽減されていること。また、イスラーム法が寛容であり、あらゆる時代と場所に適していること。
3- イスラーム法の完全性。それはあらゆる状況に対して、それに適したものを規定しています。
第十四に:金曜礼拝:
第一:その規定:
金曜礼拝は、正当な理由を持たない、精神的に健常で定住しているすべての成人男性ムスリムにとっての個人義務です。
アッラーは仰せになりました: 信仰する者たちよ、合同の日(金曜日)に(合同)礼拝に呼びかけられたらアッラーの唱念に励み、商売(など、あらゆる仕事)を中断するのだ。それがあなた方にとって、より善いのだから。もし、あなた方が(そのことを)知っていたのなら(、そうせよ)。 [合同礼拝章:9節]
預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言われました: 「人々は金曜礼拝の放棄を断じてやめねばならない。さもなくば、アッラーによって彼らの心は塞がれてしまい、その後、彼らは確実に無頓着な者となってしまうであろう。」 [36] [36] ムスリム(865)の伝承。
第二:金曜礼拝が正しくあるための諸条件:
1)時間:その時間はズフルのサラーの時間と同じであり、 定められた時間帯よりも以前に行われた場合も、その時間帯が終了した後に行われた場合も、無効となります。
2)集団が集まること。正しい見解によれば、集団礼拝は3人から有効となります。 1 人、または 2 人のサラーは、正しくなりません。
3) 礼拝者たちが、慣習的に建築に用いられるもので建てられた住居に定住していること。 それが鉄筋コンクリートであれ、石であれ、土であれ、その他のものであれ。 したがって、一定の場所に定住することなく、むしろ家畜のための牧草を追い求めて移動する、テントや獣毛の天幕の住人である荒野の民の場合、有効とはなりません。
4)預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の教えに従い、金曜礼拝の前に2つの説教が行われること。
第三:金曜礼拝の2つの説教の根幹的要素:
1- アッラーを讃えることと、2つの証言。
2- サラート・アランナビー(預言者に対する祝福祈願)を言うこと。
3- アッラーを畏れるよう勧めること。
4- クルアーンの一部を読むこと。
5- 訓戒すること。
第四:金曜礼拝の説教の推奨事項:
1- 説教壇の上で説教すること。
2- 短く座って、2つの説教の間を区切ること。 3- その中で、ムスリムと彼らの指導者たちのためにドゥアーをすること。
4- 2つの説教を簡潔にすること。
5- ハティーブ(説教師)がミンバルに登るとき、人々に挨拶すること。
第五:金曜日の推奨行為:
1- スィワーク。
2- あれば香水をつけること。
3- 早めに金曜礼拝に出発すること。
4- 徒歩でマスジドに行くこと、乗り物に乗らないこと。
5- イマームの近くにあること。
6- ドゥアーすること。
7- 洞窟章を読むこと。
8- サラート・アランナビー(預言者に対する祝福祈願)を言うこと。
第六:金曜礼拝に出席する者に禁じられているもの:
1- 金曜日、イマームが説教している最中、話をすることは禁じられています。それは預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の次の言葉によります: 「金曜日、イマームが説教している最中、同胞に『静かに』と言ったら、戯言(たわごと)を語ったことになる。」 [37] すなわち:無駄な言葉を口にしたということであり、無駄な言葉とは:罪のことである。 [37] ブハーリー(934)とムスリム(851)の伝承。
2- 人びとの首を跨ぐことは、好ましくありません。ただし、イマームである場合、あるいは、そうしなければたどり着けないすき間(空いている場所)に向かって跨ぐ場合を除きます。
金曜礼拝に間に合うこと:
金曜礼拝の2ラクア目においてイマームのルクーゥに間に合った者は、金曜礼拝に参加したと見なされ、2ラクアとしてサラーを完遂します。 もし2ラクア目のルクーゥを行うことが出来なかった場合は、金曜礼拝のサラーに参加出来なかったことになり、4ラクアのズフルとしてサラーを完遂します。 同様に、眠り過ごしてしまったことやその他の理由により金曜礼拝に参加出来なかった者は、ズフルとしてサラーを行います。
第十五に:特別な状況下にある者たちのサラ―:
第一:病人のサラー:
第一に:病人は出来る範囲でサラーを行わなければなりません。 彼に意識がある限り、サラーをその時間帯が終了するまで遅らせることは、許されません。
第二に:病人がサラーする方法:
1- 病人は、困難や害を伴うことなく起立することが可能であるならば、立ってサラーを行い、ルクーゥとサジダを行わなければなりません。
2- もし起立することは出来ても、ルクーゥやサジダをすることによって害を受けるのであれば、起立姿勢でルクーゥの身振りをし、座位姿勢でサジダの身振りをするようにします。
3- もし立ってサラーすることが出来なければ、座ってサラーします。 またスンナとして、起立姿勢においてはあぐらをかいた状態になり、ルクーゥの身振りをし、可能な場合は床や地面の上でサジダを行います。出来ない場合はサジダの身振りをし、その動作をルクーゥのそれよりも深めに行うようにします。
4- もし座ってサラーすることが出来なければ、顔をキブラに向けて、横になってサラーします。 もし可能であれば、右側を下にして横になるのがより良いです。そしてルクーゥとサジダは仕草で示します。
5- もし横になってサラーすることが出来なければ、両足をキブラに向けて仰向けになってサラーします。その際、ルクーゥやサジダは仕草で示します。
6- ルクーゥやサジダにおいて体による仕草が出来なければ、頭の仕草でそれを示します。もしそれが厳しければ、仕草をすることは免除され、心の中で礼拝の動作を行うようにします。すなわち、そのままの状態でルクーゥ、サジダ、そして座位といった礼拝の動作を意図し、それぞれの言葉を唱えるのです。
7- 病人はサラーの条件のうち、自身に可能な限りのことを行わなければなりません。例えば、キブラの方向を向くこと、水によるウドゥー、あるいはそれが出来ない場合のタヤンムム、そして不浄から清めることなどです。もしこれらのうちのいずれかが出来ないようであれば、その義務は免じられるので、その状態のままサラーします。尚、サラーをその時間から遅らせてはなりません。
8- 病人は、起立とルクーゥの場面ではあぐらをかいて座り、それ以外の場面ではイフティラーシュの姿勢(左足の上にお尻をつけて座り、右足は立ててその指先をキブラの方に向ける)をとることがスンナです。
第二:旅行者のサラー:
1- 特別な状況下にある者には旅行者が含まれ、その者には4ラクアのサラーを4ラクアから2ラクアに短縮することが許されています。 アッラーは仰せになりました: (信仰者たちよ、)あなた方が地上を旅する時、礼拝を短縮してもあなた方に罪はない... [婦人章:101節]
アナス・ブン・マーリク(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました: 「私たちは預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)と一緒にマディーナからマッカへ出かけました。そして私たちがマディーナに戻るまで、彼は2ラクアずつ礼拝を行っていました。」[38] [38] ブハーリー(1081)とムスリム(693)の伝承。
サラーの短縮は、旅行者が自分の町の居住地域から離れた時点で開始されます。というのも、アッラーは大地を旅する者にサラーの短縮を許可されたからです。 自分の町を出発する前は、地上を旅する者でも、旅行者でもありません。なぜなら、預言者(アッラーの祝福と平安あれ)は、旅立った時にのみ礼拝を短縮されたからです。
2- 旅行者が移動しようとする場合にサラーの短縮が許される距離は、約80キロメートルです。
3- 旅行者は、出発した自分の地域に入るまで、帰路においてもサラーの短縮を行うことが出来ます。
4‐ 旅行者が目的国(都市)に到着し、そこに定住することを望む場合、これには3つの状況があります:
a)4日以上定住する意図がある場合、定住した初日から礼拝を完全に行わなければならず、旅行者の特例を利用することはできません。
b)4日間未満の滞在を意図する場合。この場合、サラーの短縮および旅行中の特例を利用することが許されます。
c) 特定の期間を設定して定住する意図はなく、その場所の状況に合わせて1日あるいは10日間滞在したり、または治療や用事などの目的があり、目的が済み次第、本国に帰国する人たちの場合: この者は、たとえ滞在期間が4日を超えたとしても、旅から戻るまでサラーの短縮や旅行の特別規定を適用することが出来ます。
5- 定住者のイマームに率いられて旅行者がサラーする場合、たとえ第二のタシャッフドからしか途中参加できなかったとしても、サラーを完遂しなければなりません。
6- 定住者がサラーを短縮する旅行者のイマームに率いられてサラーする場合、定住者がイマームのタスリームの後に自らのサラーを完遂するのは義務です。
第十六に:2つのイード礼拝:
ムスリムのイード(祝祭)は主からのイードであり、至高なるアッラーが彼らのために定められたものであって、彼ら自身が自ら定めたものではありません。 彼らにはただ 2つのイードしかありません。それは、イード・アル=フィトゥル(断食明けの祭り)と、イード・アル=アドゥハー(犠牲祭)です。 ムスリムでない人たちの祝祭や、ビドゥアの祝祭とは異なります。それらは至高なるアッラーがお定めになったものでも、命じられたものでもなく、むしろ彼らが自ら定めたものなのです。
2つのイード礼拝の法的位置づけ:
連帯義務であり、預言者(アッラーの祝福と平安あれ)はそれを継続し、正しく導かれたカリフたち(彼らにアッラーのご満悦あれ)もそれを継続しました。 それらは宗教の象徴の一部であり、公に実践される儀式です。
2つのイードのサラーの時間帯:イードのサラーの時間帯は、太陽が槍ほどの高さにまで昇ってから(すなわち日の出の約15分後)、天頂を通過するまでの間です。
2つのイード礼拝の形:
1- 最初のラクアではタクビーラトゥ・アル=イフラームを行い、それからサラー開始のドゥアー(祈願)を読みます。次に6回のタクビールを唱え、それぞれのタクビールと共に両手を上げ、アッラーを讃え、タクビールの間に預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)に対しての祈願をします。それから悪魔からの加護を求め、バスマラを唱え、朗誦を始めます。
2- 第二ラクアでは、移行のタクビールの後に5回のタクビールを唱えます。それからご加護を求める言葉(イスティアーザ)とアッラーの御名(バスマラ)を唱え、読誦を始めます。そして、第一ラクアでは開端章(アル・ファーティハ)の後に「至高者章(第87章)」を、第二ラクアでは「圧倒的事態章(第88章)」を読むことが推奨されます。
3- イマームはサラームすると説教壇に昇り、金曜日のジュムアの説教で行うように、その間に短く腰をかけて2つの説教を行います。
イードのスンナ:
A-グスル(全身洗浄)。
B-清潔にすることと、香水をつけること。
C-イード・アル=フィトゥル(ラマダーン月の斎戒明けの祭日)の日には、イード礼拝に出かける前に食べること、そしてイード・アル=アドゥハー(犠牲祭)の日には、犠牲を屠る場合、イード礼拝から戻った後その犠牲の肉を口にすること。
D-歩いて出発すること。
E-行きと帰りで別の道を通ること。
F-イマーム以外の後方の礼拝者たちは、早めにムサッラーに行くこと。
タクビール:
2つのイードの前夜、ズルヒッジャ月の最初の10日間、およびタシュリークの期間(ズルヒッジャ月の11日、12日、13日)においてタクビールすることがスンナです。そしてこれには2つの種類があります:
第一に、無制限のタクビール:それは特定の時間に限定されていないものです。
1-イード・アル=フィトゥル(ラマダーン月の斎戒明けの祭日)においては:イード前夜の日没から、イードのサラーの開始までです。
2-イード・アル=アドゥハー(犠牲祭)においては、ズルヒッジャ月初日の前夜の日没から、アイヤーム・アッ=タシュリークの最終日の日没までです。
第二に、限定されたタクビール:それは義務の礼拝の後に限定されたものです。
1-イフラーム状態にない者:アラファの日の暁から、アイヤーム・アッ=タシュリークの最終日のアスルまで。
2-イフラーム状態にある者:イードの日のズフルのサラーから、アイヤーム・アッ=タシュリークの最終日のアスルまでです。
第十七に:日・月蝕のサラー:
日・月蝕の意味:
月蝕とは:夜に月の光が全部、あるいは部分的に消えてしまうことです。
そして日蝕とは:昼に太陽の光が全部、あるいは部分的に消えてしまうことです。
日・月蝕のサラーの法的位置づけ:
彼(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の時代に日蝕が起こった際、彼がそのサラーを行ったという使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の行動によって示されている、強く推奨されたスンナです。 彼がそれを命じられたことが示しているように、学者たちもその合法性について一致した見解を持っています。
サラーの時刻:
蝕が始まってから姿を現すまで、つまり蝕が終わるまでです。
サラーの仕方:
そのサラーのラクアの数は2ラクアであり、そこではクルアーンを声に出して読誦します。その方法は以下の通りです。
a- イフラームのタクビールをし、サラー開始のドゥアー、タアウウズ、バスマラを唱え、アル=ファーティハ章を読み、次いでクルアーンを長めに読誦します。
b- その後、長いルクーゥをします。
c- それからルクーゥから身を起こし、「サミアッラーフ・リマン・ハミダ(アッラーは、かれを讃美する者の言葉を聞き入れられる。)」と唱えます。それからアル=ファーティハ章を読みます。次いで長めにクルアーンの別の箇所を読みますが、その際最初よりは短めに済ませます。
d- その後、長いルクーゥをしますが、1回目のそれよりは短めに切り上げます。
e- それから、ルクーゥから上体を戻し、次のように言います。「サミアッラーフ・リマン・ハミダ(アッラーは、かれを讃美する者の言葉を聞き入れられる。)」
f- その後、長い2回のサジダをします。
g- それから2回目のラカアへと立ち上がります。1回目のラカアと同様に行いますが、1回目よりは短めに済ませます。
そのスンナとされる行為:
a)「サラーの為に集まれ。」と言って呼びかけること。
b)集団で礼拝が行われること。
c)サラーにおいて、キヤーム(起立姿勢)、ルクーゥ(立礼)、そしてサジダ(跪拝)を長くすること。
d) 2ラクア目は1ラクア目よりは短めに済ませること。
e)礼拝後に説教を行い、善行を勧め悪行を避けるよう促すこと。
f)ドゥアーし、心を込めて祈ること、イスティグファール、サダカを多くすること。
第十八に:雨乞いの礼拝:
1) 雨乞いとは:干ばつの時に、至高のアッラーに雨を降らせてくださるよう雨の恵みを乞うことです。
雨乞いのサラーが定められた時間:
雨が滞って干ばつになり始め、その途絶により被害が生じたら、雨乞いのサラーが可能になります。人々には、主に懇願し、雨の恵みを乞い、様々な形の懇願をもって救済を求める以外に道はありません。
a- 時にはサラーを集団で、あるいは単独で行います。
b- またある時には金曜礼拝の説教中のドゥアーによって行われ、説教者がドゥアーを行い、ムスリムたちがそのドゥアーに対してアーミーンと唱えます。
c- またある時は、サラーや説教以外の時に、いつでもドゥアーを行います。
雨乞いのサラーの法的位置づけ:
その理由が存在する時に強く推奨されたスンナであり、それはアブドゥッラー・ブン・ザイド(彼にアッラーのご満悦あれ)のハディースにあるように、ムハンマド様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が行っていたためです。彼は言いました: 「預言者(アッラーの祝福と平安あれ)は礼拝所に赴き、雨乞いをし、キブラの方に向かい、外套を裏返して纏い、2ラクアのサラーを行った。」[39] [39] ブハーリー(1012)とムスリム(894)の伝承。
雨乞いのサラーの仕方:
雨乞いのサラーの仕方は、イードのサラーと同様です。 従って、イードのサラーと同様にサラーの場で行うことが奨励されます。そして、ラクアの数、声に出して朗誦すること、フトバの前にサラーが行われること、ならびに1ラクア目と2ラクア目の朗誦の前に行われる追加のタクビールに関して、その法的見解はイードのサラーの法的見解と同様なのです。 2つのイード礼拝において先に明らかに述べたように。 説教は、1回のみ行います。
第十九に:葬儀の規定:
第一に:臨終の場に立ち会う者について:
1.死を迎えようとしている人に立ち会う者が、彼に「ラー・イラーハ・イッラッラー (アッラーの他に真に崇拝すべきものはありません)」と唱えるよう促すことはスンナです。
2.キブラの方に向けることがスンナです。
3.目を閉じさせることが推奨されます。
4. 亡くなった後、遺体を布(衣服)で覆うのがスンナです。
5.速やかに葬儀の準備を行うこと。
6.故人の借金は速やかに返済されなければなりません。
7.遺体は洗浄され、装束に包まれます。これらは連帯義務(ファルド・キファーヤ)です。
第二に:葬儀のサラーの諸規定:
その法的位置づけ:集団的義務。
条件:
1.キブラを向くこと。
2.アウラを隠すこと。
3.汚れ(ナジャーサ)を避けること。
4.礼拝を行う者および故人が、タハーラの状態にあること。
5.礼拝を行う者も、故人も、共にムスリムであること。
6.同じ町にいる場合は、葬儀に参列すること。
7.宗教的義務を負う者であること。
その柱:
1)礼拝において起立すること。
2)4回のタクビールを行うこと。
3)アル=ファーティハ章を読むこと。
4)サラート・アランナビー(預言者に向けた祝福祈願)を言うこと。
5.故人のためにドゥアーすること。
6)定められた順序を守ること。
7)タスリームを行うこと。
そのスンナ:
1)すべてのタクビールの際に、両手を上げること。
2)ご加護を求めること。
3)自分自身とムスリムたちのためにドゥアーすること。
4)声に出さずに読むこと。
5) 4回目のタクビールの後、タスリームの前に少し間を置くこと。
6)右手を左手の上に重ねて、胸の上に置くこと。
7)タスリームの際には右を向くこと。
礼拝の仕方:
イマーム、あるいは単独でサラーを行う者は、故人が男性ならばその胸部周辺前に、女性ならば遺体の中心部前に立ち、タクビーラトゥル=イフラームをし、アッラーに加護を求め、開始のドゥアーは唱えずに、バスマラを唱え、アル=ファーティハ章を読みます。
それからタクビールを行い、その後に預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)への祈願を唱え、それからタクビールを行い、スンナにおいて伝えられているドゥアー(祈願)でもって故人のために祈ります。 その例として、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)による次のようなドゥアーが挙げられます: 「アッラーフンマ・グフィル・リ・ハイイナー・ワ・マイイティナー、ワ・サギーリナー・ワ・カビーリナー、ワ・ザカリナー・ワ・ウンサーナー、ワ・シャーヒディナー・ワ・ガーイビナー、アッラーフンマ・マン・アハヤイタフ・ミンナー・ファアハイヒ・アラー・アル=イーマーン、ワ・マン・タワッファイタフ・ミンナー・ファタワッファフ・アラー・アル=イスラーム、アッラーフンマ・ラー・タハリムナー・アジュラフ、ワ・ラー・トゥディッラナー・バアダフ(アッラーよ、私たちのうち生きている者たちを、亡くなった者たちを、老若男女を、この場に居合わせている者たちを、不在の者たちをお赦し下さい。アッラーよ、あなたが私たちの内で生かす者は信仰をもった状態で生かして下さい。あなたが私たちの内で死を与える者は、イスラームにおいて死なせて下さい。アッラーよ、その報奨を私たちに禁じないで下さい。また私たちをその後で迷わせないで下さい。)」 [40] [40] アブー・ダーウード(3201)とティルミズィー(1024)の伝承。彼は「ハサン・サヒーフのハディースである」と述べた。
また預言者(アッラーの平安と祝福あれ)から伝えられている、もう一つのドゥアーは次の通りです: 「アッラーフンマ・グフィル・ラフ・ワルハムフ、ワアーフィヒ・ワアフ・アンフ、ワ・アクリム・ヌズラフ、ワ・ワッスィァ・ムドゥハラフ、ワ・グスィルフ・ビル=マーイ・ワッサルジ・ワル=バラドゥ、ワ・ナッキヒ・ミナル=ハターヤー・カマー・ナッカイタ・アッサウバル=アブヤダ・ミナッダナス、ワ・アブディルフ・ダーラン・ハイラン・ミン・ダーリヒ、ワ・アハラン・ハイラン・ミン・アハリヒ、ワ・ザウジャン・ハイラン・ミン・ザウジヒ、ワ・アドヒルフル=ジャンナ、ワ・アイズフ・ミン・アザービル=カブリ、ワ・ミン・アザービン=ナーリ(アッラーよ、彼を赦し、彼にご慈悲を与え、彼を癒し、お守り下さい。そして彼によい住まいを与え、その入り口を広げ、水と雪と雹で彼を清めて下さい。そしてあなたが白い服を汚れから清浄にされたように、彼をその過ちから清めて下さい。そして彼に(生前の)彼の住処よりも素晴らしい住処を、彼の(生前の)家族よりも素晴らしい家族を、彼の(生前の)配偶者より素晴らしい配偶者を引き換えにお与え下さい。そして彼を楽園に入れ、墓の災難と業火の懲罰から彼をお護り下さい。)」[41] それからタクビールを唱え、少し間を置いてから、右側に1回のタスリームをします。 [41] ムスリム(962)の伝承。
第三節:ザカー:
1- ザカー(浄財)の定義とその位置づけ:
ザカーとは:語義的には成長や増加という意味です。
イスラーム法におけるザカーとは:特定の財産に関して、特定の人たちに与えられるべきイスラーム法上義務付けられた権利のことです。
それはイスラームにおける第三の柱であり、 クルアーンの中では、サラーと並んで82箇所で言及されており、その重要性を示しています。
アッラーは仰せになりました: そして礼拝を遵守し、浄財を支払い… [雌牛章:43節]
また、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「イスラームは5つの(柱)上に建てられている:それは、アッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドはその使徒である(ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドゥッラスールッラー)と証言し、サラー(礼拝)し、ザカー(浄財)を施し、カアバ殿を目指してハッジ (大巡礼)を行い、ラマダーン月にサウム (斎戒、いわゆる断食)することである。」 [42] [42] ブハーリー(8)とムスリム(111)の伝承。
そしてムスリムは、それが義務であること、 その義務を否定した者は不信仰に陥ったこと、 また、その拠出を拒む者との戦闘に合意しています。
2- ザカーが課される条件:
a)自由身分であること:奴隷には財産がなく、その手にあるものはその主人の所有物ゆえ、ザカーは義務付けられません。そのため、そのザカーはその主人に課されます。
b)ムスリムであること:非ムスリムには課せられません。というのも、それはアッラーへのお近づきと服従の行為であり、非ムスリムはそのようなお近づきと服従を行う資格を持たないからです。
C)ニサーブの所有:ニサーブに満たない財産に関して義務は生じません。ニサーブとは定められた一定量の財産のことです。
d)完全な所有権:財産が個人によって完全に所有されていること。したがって、書面による債権のように、完全に所有していない財産にはザカー(義務的喜捨)は課されません。
e) 財産に満1年(ハウル)が経過すること: アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は、預言者(彼にアッラーの平安と祝福がありますように)が次のように述べたと伝えています: 「1年が経過するまで、財産にはザカーは課されません」[43]。 [43] イブン・マージャ(1792)とティルミズィー(63)、(631)の伝承。
3- ザカートの対象となる財産の種類:
第一:家畜 ラクダ、牛、羊あるいは山羊であり、これらがザカーの義務対象となるには2つの条件があります:
1.労働のためではなく、乳や繁殖のために飼われること。
2.サーイマ(つまり、放牧されている)であること。 そのために購入した飼料、あるいは集められた牧草などを与えられている家畜には、ザカーは義務付けられません。 また、1年の全て、あるいはその大部分ではなく、1年のうちの一部のみ放牧される家畜には、ザカーは課せられません。
4- 家畜のザカーにおける最低法的基準数:
1-ラクダのザカー:
条件が満たされた場合、ラクダ5頭につき羊1頭、10頭の場合は羊2頭、15頭の場合は羊3頭、20頭の場合は羊4頭が課されます。 スンナとイジュマーゥ(合意)がそれを示している通りです。 頭数が25頭に達した場合、1歳の雌ラクダ1頭が義務付けられます。これは丸1年を経て2年目に入ったもののことです。もしそれを所有していない場合は、2歳の雄ラクダ1頭で代用することができます。
ラクダの頭数が36頭に達した場合、2歳の雌ラクダ1頭がザカーとして課されます。
頭数が46頭に達した場合、3歳の雌ラクダ1頭が義務となります。
そして、ラクダが61頭に達した場合、4歳の雌ラクダ1頭が義務となります。
ラクダの総数が76頭に達した場合、2歳の雌ラクダ2頭が義務となります。
ラクダの頭数が91頭に達した場合、3歳の雌ラクダ2頭が義務付けられます。
ラクダの総頭数が121頭に達した場合、2歳の雌ラクダ3頭が義務付けられ、その後は40頭増える毎に2歳の雌ラクダ1頭、50頭増える毎に3歳の雌ラクダ1頭が加算されます。
2- 牛のザカー:
諸条件が満たされ、30頭に達した場合、1歳の雄牛あるいは雌牛1頭が義務づけられます。それはそれぞれ満1歳となり、2年目に入ったもののことです。
30頭未満のものには何もありません。
頭数が40頭に達した場合、2歳の雌牛1頭が義務となります。
牛の総数が41頭以上に達した場合、30頭増える毎に1歳の雄牛あるいは雌牛が、そして40頭増える毎に2歳の雌牛が加算されます。
3- 羊のザカー:
羊、あるいは山羊の総数が40頭に達した場合、それが羊であれ山羊であれ、羊1頭のザカーが義務となります。それは生後6ヶ月以上の羊、あるいは雌の山羊です。
羊、あるいは山羊は、その数が40頭に満たない場合、ザカーの対象とはなりません。 羊の総頭数が121頭に達した場合、羊2頭が義務付けられます。 頭数が201頭に達した場合、羊3頭が義務となります。
その後、この一定量を超えるとザカーの規定は固定され、100頭増える毎に羊1頭のザカーが加算されます。つまり400頭の場合は羊4頭、といった具合です。
第二:大地から産出される物のザカー:
大地から産出される物には2種類あります:
1)穀物と果実。
2)鉱物。
第一に、穀物と果実:
小麦、大麦、米などの穀物はザカーの対象です。 また、果実においては、例えばナツメヤシや干し葡萄など。 豆類や野菜など、それ以外の植物には義務付けられません。
穀物と果実にザカーの義務が生じる条件:
1) 貯蔵可能であること:果物や野菜など、貯蔵不可能なものはザカーの対象とはなりません。
2)容積で計量されるものであること:スイカ、玉ねぎ、ザクロなどのように、個数や重量で販売されるものはザカーの対象とはなりません。
3) 最低法的基準額に達していること:それは5ワスクであり、それ未満のものにはザカーは課されません。
4)ザカーが義務付けられた時に、規定の最低法的基準量を所有していること。
ザカーの義務が発生した後にそれを所有した者には、ザカーは課されません。例えば、収穫後にそれを購入したり、贈与されたりした場合がこれに該当します。
穀物と果実に対するザカーが課される時:
穀物と果実が熟し始めた時点で、ザカーの義務が生じます。 熟成の徴候は以下の通りです:
A - 穀物において:実が締まり、硬くなる。
B - ナツメヤシの果実の場合:赤くなったり黄色くなったりする。
C ‐ 葡萄については:柔らかく、甘くなる。
そのニサーブ(最低法的基準額):
穀物と果実のニサーブ:5ワスク。 また1ワスクは60サーアであり、 ゆえにザカーにおける最低法的基準量は300預言者サーアとなり、この法的基準量はキログラムにすれば、約900㎏に相当します。
義務付けられるザカーの量:
灌漑の手間や労力をかけず、降雨や湧き水などによる自然の給水によって育ったものには10%のザカーが課せられます。
動物や現代の機械を用いて井戸や川から水を汲み上げて給水するなど、灌漑に労力と費用をかけて育てたものには5%のザカーが課せられます。
第二に、鉱物:
大地から産出される物の種類:鉱物 鉱物は大地の産物の一つとみなされます。これらは大地そのものではなく、金、銀、鉄、宝石のように大地から採掘されるものを指します。
鉱物にザカーが課される時:
もしそれを取得し所有した場合、すぐにそのザカーを支払わなければなりません。1年が経過することは条件とされていないためです。 それにザカーが課される最低法的基準量は金銀の最低法的基準量と同じであり、その価値の2.5%のザカーをそこから拠出しなければなりません。
第三:通貨のザカー:
金銭とは金銀や貨幣のことであり、これらに対するザカーは義務です。 アッラーは仰せになりました: そして金銀を貯め込み、それをアッラーの道において施すことのない者たち、彼らには(使徒よ、)痛ましい懲罰の吉報を告げるがよい。 [悔悟章:34節]
預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「その権利を支払わなかった金や銀の主は、復活の日になると、彼のために熱せられた火の板によって、焼き付けられるであろう。」[44] [44] ブハーリー(1402)とムスリム(2287)の伝承。
金銀にザカーが義務付けられることについて、学者たちの見解は一致しています。そして紙幣は、金銭取引において金銀に代わるものとなったため、法的に金銀と同様に見なされます。
通貨におけるザカーのニサーブと、それに義務付けられる額:
それは金または銀の最低法的基準となります。なぜなら貨幣は、価値基準において金銀に取って代わったからです。ゆえに、もし金銀いずれかの最低法的基準に達していればザカーが課されます。そして今日において、貨幣の最低法的基準額は銀を基準に換算されるのが一般的です。なぜなら銀は金よりも安価であり、金よりも先に最低法的基準に達するからです。 もしムスリムが銀595gの価値に相当するものを所有しており、かつ所有後1年が経過した場合はザカーが課されます。 銀1gの価格はその時点によって変動します。したがって、所有している金額が少なく、それが最低法的基準額に達しているかどうかが分からない者は、銀取引業者にその時点における銀1gの価格を尋ね、その価格に595を掛けます。そして算出された結果が最低法的基準額となります。
補足:自身の財産のザカーを支払おうとする場合、最低法的基準額に達した財産を40で割れば、算出された額がザカーとして払うべき額となります。
第四:商品のザカー:
それは、利益を目的に売買されるための物であり、 商品には、金銭以外のあらゆる種類の財産が含まれます。つまり、車や衣類、布地、鉄、木材など、商売目的で準備されたもののことです。
商品のザカーが義務となる条件:
1.売買取引や有償賃貸、その他の獲得手段といった自らの行為によってそれを所有すること。
2.商売のニーヤ(意図)をもって対象物を所有すること。すなわち、それによって利益を得ることを目的とすることです。なぜなら、行いはニーヤに基づくものであり、商売も行いの一つであるため、他のすべての行いと同様に、それにニーヤが伴うことが義務づけられるからです。
3.その価値が金または銀のニサーブ(最低法的基準額)に達していること。
4.一年が満了すること。すなわち、一年が経過すること。
商品のザカー支払い金額を算出する方法:
商品は、所有後1年が経過した際に、金銭である金か銀のいずれかと換算してその価値が算定されます。 もし換算したその価値が、金銀いずれかの最低法的基準額に達していれば、その価値から2.5%のザカーを拠出しなければなりません。
第五:斎戒明けのザカー(ザカート・アル=フィトル):
それはラマダーン月の終わりにおける義務のサダカ(施し)です。 ヒジュラ暦2年に義務付けられました。
その法的位置づけ:
斎戒明けのザカーは、イードの日とその夜において、自らと自らの扶養家族に対する必要十分な量を超える食物を所有しているすべてのムスリムに義務付けられます。 性別や成人しているかどうか、あるいは自由民か奴隷かの別を問わず、全ムスリムに義務付けられます。 このような伝承があります: 「アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)はムスリム男女の奴隷と自由民、成人している者とそうでない者に、斎戒明けのザカーを義務付けました。」 [45] また、ファルド(義務)とは:課すこと、および義務づけることという意味です。 [45] ブハーリー(1432)とムスリム(984)の伝承。
それが定められたことに潜む英知:
イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました: 「アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は戯言や低俗な言動に対する罪滅ぼしと、貧者への食べ物の施しゆえに斎戒明けのザカーを定めました。」[46] [46] アブー・ダーウード(1609)とイブン・マージャ(1827)の伝承。アルバーニーが『サヒーフ・アブー・ダーウード』(1609)において真正としている。
課される時期と支払う時期:
斎戒明けのザカーは、イードの前夜の日没と同時に義務付けられます。 またイードの日、イードのサラーに向かう前に拠出することが推奨されています。 また、それをイードのサラーの後まで遅らせることは、許されません。 もしその支払いをイードのサラー以降にまで遅らせた場合、義務を果たすために支払う必要はありますが、規定の時間から遅らせたことにより罪を犯したことになります。
尚イードの日に1日、あるいは2日ほど先駆けて斎戒明けのザカーを支払うことも可能です。
その量と対象となる品目:
米やナツメヤシの実、小麦など、その土地の人々の通常の食料1サーア分です。 1サーアの量は、約3kgです。 その代わりに現金を支払うことによって代価を出すことは許されません。それは使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の命令に反するからです。
ザカーの支払いとその配給先:
支払う時期:
ザカーの義務が生じ次第、直ちに支払わなければなりません。 財産が遠く離れた国にあり、代理人として委任できる者がいない場合などの正当な理由がない限り、遅らせることは許されません。
支払うべき場所:
ザカーは財産のある国で支払うのが最善です。 以下の状況においては、財産がある国から他の国へそれを移すことが許されます:
a.その地域にザカーを必要とする者がいない場合。
b.他の国に、援助を必要としている近親者がいる場合。
c.それを送ることを促す合法的な福利が存在する場合。例としては、飢饉や洪水に遭ったムスリムの地域へそれを送るといった状況が挙げられます。
諸根拠の一般性により、ザカーは未成年者や精神的健常性を欠く者の財産に対しても義務付けられます。そして、彼らの財産の後見人が本人たちに代わってザカーを拠出する責任を負います。 意図が伴わない限り、ザカーを支払うことは許されません。 預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「全ての行いには意図が伴う」 [47]。 [47] ブハーリー(1)とムスリム(1907)の伝承。
ザカーを受給する資格のある者:
ザカーを受給する資格のある者は8種の者です:
第1 の分類:貧者:
彼らは住居、食物、衣服といった基本的な生活必需品を所有しない者であり、 彼らが受給するザカーの額は、彼ら自身と彼らが扶養する者たちの一年間を賄うのに十分な額です。
第2 の分類:困窮者:
生活必需品の大半を所有するものの、完全には所有していない者であり、例えば、給与はあるが1年通して十分賄うことの出来ない者などです。
ザカーを受給する額:1年間の彼ら自身および彼らが扶養する者の必要を完全に満たす額。
第3 の分類:ザカーに携わる者:
彼らは、統治者によってザカーの徴収を任された者、あるいはその保管や困窮者へ届ける役目を担う者たちです。
受給するザカーの額:もし彼らに国家からの報酬や給与がない場合には、彼らの労働に対する報酬の額となります。
第4 の分類:ザカーによって心に親愛の念が生まれそうな者:
彼らは、施しを与えることによって、イスラームへの入信、信仰の強化、あるいはムスリムに対する害悪の抑止が期待される全ての者です。
受け取るザカーの額:彼らの心を引き付けるのに十分な額。
第5 の分類:奴隷の解放:
これによって意図されるのは:奴隷やムカーティブを解放することです。
ムカーティブ:とは、自らを自分の所有している主から買い取った奴隷のことです。 これには、戦争におけるムスリムの捕虜の身代金による解放が含まれます。
第6 の分類:借金苦にある者、これには2種類あります:
1-自らの必要のために債務を抱え、その債務を返済するものを所有しない者。 その者の負債を完済するものが与えられます。
2-人々の関係を正したことによって負債を抱えている者。 たとえ裕福であっても、その負債を返済するのに十分な額が与えられます。
第7 の分類:アッラーの道にある者:
彼らは、アッラーの道のために奮闘努力する者たちです。
彼らが受給するザカーの額:アッラーの道におけるジハードにおいて、乗り物や武器、食糧など、彼らにとって十分となる額です。
第8 の分類:旅人:
旅費が尽きたか、あるいは盗難に遭い、自国に戻るための資金が手元に残っていない旅行者のことです。
受け取るザカーの額:たとえ自身の国では裕福であったとしても、その国へ帰り着くために必要な額です。
第四節:サウム:
斎戒とは:
ファジュルから日没まで、サウムを無効化する諸要因から身を控えることによって、至高なるアッラーを崇拝することです。
それはイスラームの五行の一つであり、 アッラーが定めた(宗教上の)義務の一つであり、 宗教において必然的に知られていることです。 そして、啓典とスンナ、およびムスリムの合意により、それが義務であることが証明されています。
アッラーは仰せになりました: 「(それは)人々への導きとして、また導きと識別の明証としてクルアーンが下された、ラマダーン月。それで誰であろうと、(旅行中ではない)定住者としてその月に立ち会った(健常)者は、斎戒せよ...」 [雌牛章:185節]
ラマダーン月のサウムが義務となる条件:
1.ムスリムであること:ムスリムでない人が行っても有効となりません。
2.成人であること:小さな子には義務になりません。 分別のついている子供の行うサウムは有効であり、彼にとっては任意のものとなります。
3.理性:頭が正常でない人にはサウムは義務づけられず、また意図がないため、その人のサウムは正しくなりません。
4.それに対する能力: それが遂行不可能な病人には義務ではなく、 また旅行者にも義務ではありません。 そして両者は、病気と旅行という免除の理由がなくなった時に、それをやり直さなければなりません。 また、女性においてそれが有効となるための条件は、月経および産後の出血が止まっていることです。
ラマダーン月に入ったか否かの確証は次のどちらかの方法によります、すなわち:
a-ラマダーン月の新月観測、 預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: “(新月の)観測と共にサウムを始め、(新月の)観測と共にサウムを終えよ。” [48] [48] ブハーリー(1810)とムスリム(1086)の伝承。
b-シャアバーン月を30日完遂すること。それはラマダーン月の新月が観測されなかった時、あるいは雲や砂ぼこりなどにより観測が妨げられた場合です。これは以下の預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の言葉によります: “もし(天候が悪く空の)見通しが悪い場合は、シャアバーン月を30日完遂するのだ。” [49] [49] ブハーリー(1909)の伝承。
サウムにおけるニーヤ(意図):
サウムは、他の崇拝行為と同様に、ニーヤなしには成立しません。 義務のサウムにおいてニーヤ(意図)が義務付けられる時間は、それ以外のサウムとは異なります。その詳細は以下の通りです:
第一に:義務のサウム:ラマダーンのサウムや、カダー(やり直し)のサウム、誓いのサウムなどがこれにあたり、ファジュル(暁)の前に夜のうちにニーヤ(意図)をすることが義務です。 預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「夜のうちにサウムを意図しない者のサウムは無効である。」[50] [50] アハマド(26457)、アブー・ダーウード(2454)、ナサーイー(2331)による伝承。文章はナサーイーのもの。
第二に:任意のサウム。そのニーヤ(意図)は昼間からでも立てることが出来ます。 ファジュル(暁)後にサウムを無効にする物事をしていないことを条件とします。
サウムを無効にすること:
1‐ 性交:性交を行った場合、サウムは無効となり、性交を行ったその日の分をやり直すことが義務付けられます。 彼にはカダー(やり直し)と共に贖罪が科されます。それは、奴隷を1人解放することです。 もし不可能であれば、連続2ヶ月間のサウム(いわゆる断食)をしなければなりません。 もしイスラーム法上の正当な理由により能力がなく、それが出来なければ、60人の貧者の各々に、その地域で食べられている食料を半サーアずつ施さなければなりません。
2- キスや接触、自慰行為、あるいは繰り返し見ることによって精液が発射された時。その者には贖罪なしにやり直しのみが課せられます。なぜなら、贖罪は性交に対してのみ課されるからです。 眠っている者が夢精をして精液を出してしまった場合、彼には何も課せられません。それは彼の意志によるものではないためです。彼はジャナーバのグスルをします。
3- 故意による飲食: アッラーは仰せになりました: そして夜明けの白い糸が黒い糸から明白になるまで、食べ、飲むのだ。それから(太陽が沈んで)夜になるまで、斎戒を全うせよ… [雌牛章:187節]
つい忘れて飲食してしまった者は、何も課されません。 このような伝承があります: 「サウム(斎戒)中であることを忘れて飲食してしまった者は、そのサウムを全うせよ。アッラーが彼に食べさせ、飲ませてくださったのであるからだ。」[51] [51] ブハーリー(6669)とムスリム(2709)の伝承。
4- 故意的な嘔吐。ただし、自分の意志によらず吐いてしまった者は、サウムには影響しません。 預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「嘔吐に襲われた者にはやり直しの義務はない。故意に嘔吐した者はやり直さなければならない。」 [52]. [52] アブー・ダーウード(2380)とティルミズィー(719)、イブン・マージャ(676)の伝承。
5- 体から血液を抜き取ること:ヒジャーマ(吸い玉)や静脈切開、または病人を救うための献血による採血などがこれに当たり、これらはいずれもサウムを無効にします。 ただし、血液検査の為に少量の血液を採取することは、サウムに影響しません。 同様に、鼻血や傷口、あるいは抜歯など自らの意志によらない出血は、サウムに影響を及ぼすことはありません。
ラマダーン月にサウムをしないことが許される者:
1-サウムを免除され、後日のやり直しが義務付けられる者:
第一:回復が見込まれる病気にかかっており、サウムをすれば自らを害することが分かっているか、あるいはサウムするのが困難な状況にある者:
第二:旅行者。旅行中に困難を感じるか否かにかかわらず。
その二つの根拠は、アッラーの次の御言葉です: そして病人や旅行中の者(で斎戒しなかった者)は誰でも、別の日々に(その)日数を(斎戒する)… [雌牛章:185節]
第三:妊娠中、あるいは授乳中の女性は、サウムするのが困難な状況にあるか、あるいはすれば自らの身、あるいは胎児あるいは乳幼児を害することが分かっているならば、病気の者と同じ扱いとなり、そのような者にはサウムをしないことが許されます。 しかし、彼女たちには別の時期にサウムのやり直しを行うことが義務付けられています。
第四:月経と産後出血の状態にある女性:彼女らにはサウムを解くことが義務付けられています。 彼女たちのサウムは無効となり、他の日に出来なかった日数分のサウムを補うことになります。
2-サウム(いわゆる断食)を免除され、カダー(やり直し)を課されれることなく償いをしなければならない人々。それは以下の者たちです:
第一:回復の見込みがない病気を患う病人。
第二:サウムを遂行できない老人。
従ってこれらの者たちは義務のサウムをせず、ラマダーン期間中は、毎日経済的な困窮者1人に食事を施します。 一方、老人が精神的失調の段階に達した場合、彼には諸義務が課されなくなります。従って彼はサウムを行わず、彼には何の義務も生じません。
カダー(やり直し)の時期、およびそれを遅延させることに関しての法的見解:
ラマダーン月にやり残したサウムは、次のラマダーン月が来るまでの間に完遂することが義務となります。 またカダー(やり直し)を速やかに行うことが最善であり、 やり残したサウムの完遂を次のラマダーン月以降にまで遅らせることは、許されません。 アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は伝えています: 「私にはラマダーン月の断食の残りがあることがありましたが、アッラーのみ使い(彼にアッラーの祝福と平安あれ)への務めのため、シャアバーンまでそれを埋め合わせることができませんでした。」[53] [53] ブハーリー(1849)とムスリム(1846)の伝承。
やり残した義務のサウムを完遂することを次のラマダーン月の後まで遅らせた場合には2つの状況があります:
1-病気が次のラマダーン月まで続くなどの正当な理由によって遅らせた場合:この場合はサウムの義務を果たすことのみが求められます。
2-正当な理由なしにそれを遅らせた場合:この者はその遅延によって罪を犯したとみなされます。そして、悔い改めること、義務を果たすこと、および1日につき一人の貧者に食べ物を施すことが義務付けられます。
カダー(埋め合わせ)がある者の任意のサウム:
ラマダーン月にやり残したサウムがある者は、任意のサウムを行う前に、速やかにそれを済ませることがより望ましいです。 しかしながら、もし任意のサウムが(アラファの日やアーシューラーの日のサウムのように)その時期を逃してしまうようなものである場合は、やり残した義務のサウムを完遂する前にそれらを行います。なぜなら、やり残したサウムの完遂には時期的に余裕があるのに対し、アーシューラーやアラファ(のサウム)はその時期を逃してしまうからです。 しかし、やり残した義務のサウムを完遂してからでなければ、シャウワール月6日間のサウムを行いません。
サウムが禁じられるもの:
1.イード・アル=フィトル(斎戒明けの祭り)とイード・アル=アドハー(犠牲祭)の日にサウムをすること。それが禁止されているためです。
2.ズー・アル=ヒッジャ月のアイヤーム・アッ=タシュリークにサウムをすること。 但し、ハッジにおいてタマットゥ(ウムラを終えてからハッジに移行する巡礼形式)を行う者とキラーン(ハッジとウムラを同時進行する巡礼形式)を行う者が、犠牲を得られない場合はその限りではありません。 アイヤーム・アッ=タシュリークとは、ズー・アル=ヒッジャ月の11日、12日、13日のことです。
3.疑わしい日、それはシャアバーン月30日目です。 もしその夜が、雲や砂埃によって新月観測が妨げられる夜であった場合。
サウムが忌避される日:
①ラジャブ月のみサウムをすること。 ➁金曜日のみのサウム。それが禁じられているためです。 もしその前日または翌日にもサウムする場合には、忌避されなくなります。
サウムが推奨されるもの:
①シャウワール月の6日間。 ➁ズー・アル=ヒッジャ月の最初の9日間のサウム。その中でもアラファの日はサウムをすべき日とされています。ただし、巡礼者を除きます。巡礼者がサウムすることは推奨されてはいません。その日のサウムは2年間の罪滅ぼしになります。 ③毎月3日間のサウム。アイヤーム・アル・ビードに行うのが最も良く、それは13日、14日、15日です。 ➃毎週月曜日と木曜日のサウム:なぜなら預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)がこれらの日にサウムをされていたからです。それは、これらの日にはしもべたちの行いが提示されるからです。
任意の斎戒:
①ダーウード(ダヴィデ:彼に平安あれ)のサウム:つまりそれは1日おきのサウムのことです。
➁アッラーの月ムハッラム月のサウム:それはサウムすることが推奨される最良の月です。その中でもアーシューラーの日、すなわちムハッラム月10日目のサウムは、特にサウムをすべき日とされています。また、9日目も共にサウムします。預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が次のように言われているからです: 「もし私が来年まで生きていたなら、私は必ず9日目に断食しよう」 [54] そして(それは)その前の1年間の罪滅ぼしとなる。 [54] ムスリム(1134)の伝承。
第五節:ハッジとウムラ
ハッジの語義:目指すこと。 イスラーム法においては:定められた時期に、定められた儀式を行うためにカアバおよび諸聖地へ向かうことです。
ウムラとは:語義的には「訪問」のことです。
シャリーアにおいては、特定の儀式を行うために、時期を問わずカアバを訪問することです。
ハッジはイスラームの諸基幹の一つ、そしてその偉大なる基盤の一つであり、 ヒジュラ暦9年に義務付けられました。 預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)がハッジを行ったのは1度だけであり、それが「別れのハッジ」です。
ハッジは、可能な者には一生に一度義務付けられ、 そして、それ以上のものは任意となります。 ウムラに関しては、多くの学者の見解によれば義務です。 その根拠は、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が、“女性たちにジハードはありますか?”と尋ねられた時の言葉です。(預言者は)言いました: 「はい、女性たちにも戦いを伴わないジハードが課せられています。それはハッジとウムラです。」 [55] [55] アフマド(25198)とアン=ナサーイー(2627)、イブン・マージャ(2901)の伝承。
ハッジとウムラが義務付けられる条件:
1.イスラーム(ムスリムであること)
2.理性
3.成人であること
4.自由身分であること
5.能力
女性には第6の条件が加わります。それは、それを遂行するために旅行に同伴するマハラムが存在することです。 彼女がマハラムの同伴なしにハッジ、またそれ以外の目的で旅行に出ることは許されていないからです。 預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました: 「女性はマハラムを伴わずに旅行してはならない。男性もまた、マハラムの同席なしにその女性の元に入ってはならない。」[56] [56] ブハーリー(1862)とムスリム(1341)の伝承。
女性のマハラムとは:その夫や、またいかなる状態においても婚姻が許されない関係にある者のことです。 血縁によるもの。例えば、彼女の兄弟、父親、父方の伯叔父、兄弟の息子、母方の伯叔父など。 あるいは正当な理由(乳親族関係にある兄弟など)によるもの、または婚姻関係(母親の夫や夫の息子など)によるものです。
遂行能力とは:財政的および身体的な能力のことです。すなわち、移動手段に乗ることが可能で旅行に耐えることができ、行って戻ってくるだけの十分な財産を確保出来るということです。 また、彼らのところに帰るまで、子息および自らが扶養の義務を負う者たちを充足させるだけのものを確保できることが求められます。
また、ハッジへの道が、自らとその財産において安全であることが求められます。
十分な財産はあるものの、高齢や回復の見込みのない慢性的な病などの理由によって身体的に遂行することが不可能な者は、誰かにハッジとウムラの代行を依頼することが義務付けられます。
ハッジとウムラにおいて代理が有効になる者には 2 つの条件が必要です:
1-ハッジの義務の遂行が有効となる者であること。つまり理性的に健常な、成人のムスリムであること。
2-自分自身のためのイスラームの義務としてのハッジをすでに履行済であること。
イフラームのミーカート:
ミーカートとは:言語学的には「境界」を意味し、イスラーム法的には、イバーダ(崇拝行為)を行うための場所や時間のことです。
ハッジには時間的なミーカートと場所的なミーカートがあります:
a- 時間的ミーカート:アッラーはこれに言及し、次のように仰せられました: ハッジは、周知の数ヵ月である。それで、その間に(イフラームに入って)ハッジを自らに課した者は... [雌牛章:197節]
これらの月は、シャウワール月、ズー・アル=カアダ月、ズー・アル=ヒッジャ月最初の10日間です。
b- 場所的ミーカート:巡礼者がイフラームに入らずにマッカへの道中で通過することが許されない境界のことです。 それは以下の通りです:
1.ズー・アル=フライファ:マディーナの住民のミーカートです。
2.アル=ジュフファ:シャーム地方、エジプト、モロッコの住民のためのミーカート。
3.カルヌ・アル=マナーズィル:現在は「アッ=サイル」と呼ばれ、ナジュド地方の住民のためのミーカートです。
4.ザート・イルク:イラクの住民のためのミーカートです。
5.ヤラムラム:イエメン地方の住民のためのミーカート。
これらのミーカートの内側に居住している者は、ハッジやウムラに臨む場合には、自分の家からイフラームに入ります。 マッカの民である者は、マッカでイフラームに入り、イフラームのためにミーカートへ出向く必要はありません。 ウムラに関しては、彼らは最も近いヒッル(聖域外)へ出て、イフラームに入ります。 ハッジやウムラに臨む者は、使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)が定めた場所からイフラームに入らなければなりません。それらが先述した場所のミーカートです。 ハッジ、あるいはウムラに臨もうとする者が、イフラームをすることなくミーカートを通過することは許されません。
- その地の民でない者で、前述のミーカートを通過する者は皆、そこからイフラームに入ります。
- マッカへ向かう者で、陸路、海路、あるいは空路において前述のミーカートのいずれも通過しない場合、最寄りのミーカートと並行した時にイフラームに入ります。 ウマル・ブン・アル=ハッターブ(彼にアッラーのご満悦あれ)の言葉によります: 「あなた方の道から、それと並ぶ場所を見定めなさい」[57]。 [57] ブハーリー(1531)の伝承。
- ハッジやウムラに臨む為に飛行機で旅をする者は、飛行機が経路上のミーカートを通過した時にイフラームに入らなければなりません。 また飛行機が空港に着陸するまでイフラームを遅らせることは許されません。
イフラーム:
それは巡礼の諸行の開始を意図することです。 ハッジにおいては:ハッジの開始を意図することです。 そしてウムラにおいては、それはウムラの開始を意図することです。 巡礼の諸行の開始を意図しない限り、ムフリムとはなりません。 一方、意図することなく単にイフラームの衣服を着用しただけでは、イフラームとは見なされません。
イフラームにおいて推奨されること:
1.イフラームの前に、体全体を洗浄すること(グスル)。
2.男性がイフラームの衣装にではなく、身体に香料をつけること。
3.白い2枚の布を、上半身と下半身にそれぞれ着用し、サンダルを着用してイフラームに臨むこと。
4.乗り物に乗った状態で、キブラの方に向かってイフラームに入ること。
巡礼の形式の種類:
ムフリム(イフラームに入った者)は、以下の3つの儀式から望むものを選択して行います:
1-タマットゥ(ウムラを終えてからハッジに移行する巡礼形式):ハッジの期間中にウムラのためのイフラームをし、それを完遂します。そして同年にハッジのためのイフラームに入ることです。
2-イフラード(ハッジのみを行う巡礼形式):ミーカートからハッジの為だけにイフラームに入り、ハッジの諸行事を終えるまでそのままイフラームの状態で留まることです。
3-キラーンとは、ハッジとウムラのためのイフラームを同時に行うか、あるいはウムラのためのイフラームを行い、その後、そのタワーフを始める前にハッジをそこに併合することです。すなわち、ミーカートにおいて、あるいはウムラのタワーフを始める前にウムラとハッジを決意し、それら両方のためにタワーフとサアイを行います。
タマットゥ(ウムラを終えてからハッジに移行する巡礼形式)を行う者とキラーン(ハッジとウムラを同時進行する巡礼形式)を行う者は、マッカ居住者でない限り犠牲を捧げなければなりません。
これら3種類の巡礼形式の中で最も優れているのはタマットゥです。というのも、預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)がその教友たちに命じたものだからです[58]。次にキラーンです。なぜならそれはハッジとウムラを兼ねているからです。そしてイフラードとなります。 [58] ムスリム(1211)の伝承。
Cーこれらの儀式のいずれかを行うためイフラームに入ったならば、イフラームの直後にタルビヤを唱え、このように言います: 「ラッバイカッラーフンマ ラッバイク。ラッバイカ ラー シャリーカ ラカ ラッバイク。インナルハムダ、ワンニァマタ、ラカ ワルムルカ、ラー シャリーカ ラク。(アッラーよ、あなたの御許に馳せ参じました。あなたの御許に馳せ参じました。あなたの御許に馳せ参じました、あなたに並ぶものはありません。あなたの御許に馳せ参じました。称賛と恩恵と主権は、並ぶものなきあなたにこそ属します。)」 [59] [59] ブハーリー(1549)の伝承。
これはスンナであり、その数を増やすことが推奨されます。男性はそれを声に出して唱え、女性は声を潜めて唱えます。
その時間:イフラームの後から始まり、その終了時間は以下の通りです:
第一:ウムラ巡礼者は、タワーフを開始する前にそれをやめます。
第二:巡礼者は、イードの日にアル=アカバのジャムラへ投石を開始する時点で、それを中断します。
ムフリム(イフラームに入った者)には次のことが禁じられます:
第1の禁止事項:体のいかなる部位からであれ、毛を剃ったり、切ったり、抜いたりすること。
第2の禁止事項:正当な理由なく手や足の爪を整えたり、切ったりすること。ただし、爪が割れてそれを取り除いた場合は、贖罪は課せられません。
第3の禁止事項:ターキーヤやグトラなど、頭に密着するもので頭を覆うこと(男性のみ)。
第4の禁止事項:身体の全体または一部に、シャツ、ターバン、ズボンなどのマヒートゥ(縫製された衣服)を着用すること(男性のみ)。 マヒートゥとは:ホッフ、手袋、靴下などのように、体の一部分に合わせて作られた衣類のことです。 女性は体を覆い隠す必要があるため、イフラームの際はいかなる衣服を身に着けることもできます。ただしブルカ(顔を覆う布)の着用は避け、マハラムでもない男性が通りがかった場合には、それ以外のヒジャーブやジルバーブなどで顔を覆うようにします。 また、両手に手袋を着用してはなりません。
第5の禁止事項:香料。なぜなら、イフラーム状態にある者は、贅沢や現世の装飾、およびその快楽から遠ざかり、来世へと心を向けることが求められているからです。
第6の禁止事項:陸上生物の殺生および狩猟。ゆえにムフリムは陸上生物を狩猟してはならず、その狩猟に加担してもならず、またそれを屠殺してもなりません。
ムフリムが、自身で狩猟したもの、他人に狩猟してもらったもの、あるいはその狩猟に協力したものを食べることは禁じられます。それは彼にとって死んだ動物のようなものだからです。
一方、海や河川などにおける狩猟については、ムフリムがそれを狩猟することは禁じられません。また、鶏や家畜などの飼い慣らされた動物を屠殺することも禁じられません。なぜなら、それらは狩猟物ではないからです。
第7の禁止事項:自身のため、あるいは他者のために婚姻の契約を結ぶこと、または証人となること。
第8の禁止事項:性交。最初のタハッルル(解禁)の前に性交した場合、彼の諸行は無効とされます。彼はそのまま継続して諸行を完了させなければならず、翌年にそれをやり直さなければなりません。また、バダナ(ラクダあるいは牛)を一頭屠らなければなりません。 もし最初のタハッルルの後であったならば、巡礼の儀は無効とはならず、その者には犠牲が課されます。
また女性も、自ら同意していた場合には、その点において男性と同様です。
第9の禁止事項:性交を伴わない愛撫。イフラームの状態にある者が女性を愛撫することは禁じられています。なぜなら、それは禁じられた性交に至る手段だからです。ここで言う愛撫とは、性欲をもって女性に触れることを意味します。
ウムラ:
a- ウムラにおける根幹的行為 :
1.イフラーム
2.タワーフ
3.サアイ
b- ウムラにおける義務的行為:
1.定められたミーカートからイフラームを行うこと。
2.頭髪を剃るか切るかすること。
c- ウムラの仕方:
ウムラを行う者がまず初めにすることは、黒い石のある柱から始めてそこで終点を迎える、7周のタワーフを行うことです。 タワーフの際には身体が清浄な状態であり、かつ隠すべき部分であるへそから膝までがきちんと覆われていなければなりません。 タワーフの最中は終始、右肩を顕わにし、上半身に纏っている布を右側の脇下に入れ、布の両端を左肩上で留める形にすることは、スンナです(イドティバー)。 そして7周目を完遂したら、イドティバーをやめ、布で両肩を覆います。
黒石に正面から向かい、もしそれにキスすることが出来ればキスをします。もしそう出来なければ、可能であれば右手でそれに触れ、その手にキスします。 もし石に触れることが出来なければ、右手を上げてそれを指し、1回「アッラーフ・アクバル」と唱えます。その手にキスすることはせず、途中で停止したりしません。 そして、カアバ神殿が自分の左側になるようにして、タワーフを続けます。また、最初の3周はラマルすることがスンナとされています。 ラマル(小走り)とは、歩幅を狭めて速く歩くことです。
そしてイエメン柱(カアバ神殿の4つ目の角)の前を通る際、可能であればそこを右手で触れます。その際タクビールはせず、キスしたりもしません。もし触れるのが困難な状況であれば、タクビールも手で柱の方を指す仕草もせず、ただそこを通過します。 イエメン柱と黒石のある柱の間で、こう言います: 「ラッバナー・アーティナー・フィッドゥニヤーハサナ。ワ・フィルアーヒラティ・ハサナ。ワ・キナー・アザーバンナール(我らが主よ、私たちに現世において善きものと、来世において善きものをお授け下さい。そして、私たちを業火の懲罰からお守り下さい。)」 [雌牛章:201節]
タワーフを終えたら、もしそうすることが可能であれば、イブラーヒーム(彼に平安あれ)の立ち所の後部で2ラクアのサラー(礼拝)を行います。もしそう出来なければ、ハラーム・モスク内のどこでそれを行っても問題はありません。 1ラクア目にはアル=ファーティハ章の後に「不信者たち章(第109章)」を読むのがスンナです。 2ラクア目にはアル=ファーティハ章の後に「純正章(第112章)」を読むのがスンナです。 それからサアイを行う場所へ向かい、行きを1周、帰りを1周として、サファーとマルワの間を7周回サアイします。
サアイはサファーの丘から始め、そこに登るか、あるいはその傍らに立ちます。可能であれば、サファーの丘に登るほうがより望ましいです。 そしてその時、至高なるかれの御言葉を朗誦します: 本当にサファーとマルワは、アッラーの聖徴の一つである... [雌牛章:158節]
キブラ(礼拝の方向)に向くようにし、アッラーを讃え、タクビールを唱え、次のように言います: 「ラー・イラーハ・イッラッラー、ワッラーフ・アクバル、ラー・イラーハ・イッラッラーフ・ワハダフ・ラー・シャリーカ・ラフ、ラフルムルク、ワ・ラフルハムド、ユヒイー・ワ・ユミート、ワ・フワ・アラー・クッリ・シャイイン・カディール、ラー・イラーハ・イッラッラーフ・ワハダフ、アンジャザ・ワアダフ、ワ・ナサラ・アブダフ、ワ・ハザマ・アル=アハザーバ・ワハダフ(アッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。そしてアッラーは最も偉大です。いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。そしてかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれは生を授け、死をもたらされ、かれこそは全能のお方です。唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはありません。かれはお約束をご遂行され、そのしもべをお助けになり、そしてかれ御一人で不信仰の輩を壊滅させられました)」[60]。 それから両手を上げて、できる範囲でドゥアー(祈願)に勤しみます。そしてこのズィクルとドゥアーを3度繰り返します。 それから下り、第1のシグナルに到達するまでマルワの丘に向けて歩き、男性は第2のシグナルに到達するまで速足で走ります。 また女性については、アウラ(覆い隠されるべき存在)であるため、2つの緑のシグナルの間を速足で走ることは規定されていません。女性に規定されているのは、サアイの全行程を歩いて行うことです。 それから歩き、マルワの丘に昇るか、あるいはその場に立ちますが、可能であればそこに昇る方がより優れています。マルワの丘では、サファーの丘で行ったのと同じように唱え、行動します。ただし、次の至高なるアッラーの御言葉である節の読誦は除きます: 本当にサファーとマルワは、アッラーの聖徴の一つである... これは、1周目にサファーに登る時にのみ規定されています。 それから下り、歩くべき地点では歩き、そして速足で走るべき地点にきたら速足で走り、こうしてサファーの丘に到達します。 これを7回行います。行きを1周、帰りを1周とします。 サアイにおいて、できる範囲でズィクルとドゥアーを沢山することが推奨されます。 大小の穢れから清浄な状態であること。ただし、たとえ清浄ではない状態でサアイを行ったとしても、それは有効とされます。 同様に、もし女性がタワーフの後に月経、あるいは産後の出血を見た場合、サアイを行い、それで有効となります。なぜなら、身体が清浄な状態で行うことはサアイの条件ではなく、推奨事項になります。 [60] ムスリム(1218)の伝承。
そしてサアイが終了したら、剃髪するか、あるいは頭髪を切るかしますが、男性ならば剃髪の方がよりよいとされます。
こうして、ウムラの諸行を完遂したことになります。
ハッジ:
a - ハッジにおける根幹的行為 :
1.イフラーム。
2.アラファに立つこと。
3.タワーフ・アル=イファーダ。
4.サアイ。
b- ハッジにおける義務行為:
1.イフラームをミーカートから行うこと。
2.ズー・アル=ヒッジャ月9日にアラファに立つこと。日中にそこに立った者にとっては日没まで留まること。
3.ズー・アル=ヒッジャ月の10日目の夜を、真夜中までムズダリファで過ごすこと。
4.アイヤーム・アッ=タシュリークの夜にミナーに滞在すること。
5.ジャムラートの投石。
6. 頭髪を剃るか切ること。
7.タワーフ・アル=ワダーァを行うこと。
c - ハッジの形:
ムスリムはミーカートに到着した際、ハッジのためのタルビヤを唱えなければなりません。その際、時間が限られている場合は「イフラード」(ハッジのみを行う巡礼形式)の意図を定めます。マッカに到着したらタワーフとサアイを行い、ズル・ヒッジャ月9日の「アラファの日」にアラファートへ向かうまでイフラームの状態を保ち、そこで日没まで滞在します。
その後、タルビヤを唱えながらアラファートを発ち、ムズダリファへと向かいます。そこでファジュルの礼拝を行うまでそこに滞在し、その後も辺りが明るくなるまでアッラーへのズィクル(唱念)を行い、タルビヤを唱え、ドゥアーを捧げながらそこに留まります。
そして空が明るくなったら、日の出前にミナーへと向かい、アル=アカバのジャムラに7個の小石を投石します。その後、剃髪するか、あるいは頭髪を切るかしますが、剃髪の方がよりよいとされます。
そして「タワーフ・アル=イファーダ」を行いますが、サアイについては最初のサアイで十分となります。こうしてハッジは完了し、完全にイフラームを解いたことになります。
そして、もし急ぎ帰る者であれば、ズー・アル=ヒッジャ月11日目と12日目のジャムラートへの投石が残されています。3本のジャムラすべてに投石しますが、それぞれのジャムラに7つの小石を投石し、石を投げる度にタクビールするようにします。まずマスジド・アル=ハィフに続く最小のジャムラから始め、それから中位のジャムラ、そして最後にあたるアル=アカバのジャムラへと順番に行いますが、どのジャムラに対しても7つの小石を投石することになります。 もし12日目以降まで遅らせることを望むのであれば、11日目および12日目と同様に、13日目にも投石します。
投石をする時間:その3日間において、太陽が天頂を過ぎた後です。
もし12日目の日没前までにミナーを去ったとしても問題はありません。しかし、留まって13日目の正午過ぎに投石をするのであれば、それが最善です。というのも至高なるアッラーは次のように仰せられているからです:
...それで(滞在を)二日間で早めに切り上げても、彼には罪はなく、また(三日目まで滞在を)遅らせても、彼に罪はない。(このお許しは、)敬虔な者のため... [雌牛章:203節]
もし旅行する場合は、サアイを行なわずに、別れのタワーフを7周行ないます。
犠牲を伴っていない場合、タマットゥ方式でウムラのためにイフラームに入り、その後8日目にハッジのためのタルビヤを行って前述したハッジの諸行を進める方がより望ましいでしょう。また、ハッジとウムラの両方に対して同時にイフラームに入ったとしても問題ありません。それはキラーンと呼ばれ、一度のタワーフとサアイでウムラとハッジの両方に同時にイフラームに入ることです。
第三部:
取引に関すること
学者たち(至高なるアッラーの慈悲が彼らにありますように)は、各個人の義務として学ぶべき知識を明らかにしました。 彼らは、すべてのムスリムにとって学習が個別義務となる程度について論じました。 商売に携わる者が、売買の規定を学ぶことがその一つであると彼らは述べました。 知らずに非合法な物事やリバーに足を踏み入れてしまわぬようにです。 一部の教友たち(彼らにアッラーのご満悦あれ)から、それを裏付けるものが伝えられています。
ウマル・ブン・アル=ハッターブ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました: 「私たちの市場では、宗教を理解した者以外は、売ってはなりません。」 [61] [61] アッ=ティルミズィーの伝承(487)。彼は「ハサン・ガリーブ」と述べた。アル=アルバーニーはこれをハサンとした。
アリー・ブン・アビー・ターリブ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました: 「法学を学ぶ前に商いを行う者は、リバーの深みにはまり、さらに深みにはまり、さらに深みにはまる。すなわち、リバーに陥るということである。」 [62] [62] 参照:『ムグニー・アル=ムフタージュ』(2/22)
またイブン・アービディーンはアル=アラーミーから引用して言いました: 宗教と導きの知識を学んだ後、ウドゥー、グスル、サラー、サウムの知識を学ぶこと、またニサーブを有する者にはザカーの知識を、それが義務づけられた者にはハッジの知識を、商人には商取引の知識を学ぶことが、責任を負うすべての男女に義務づけられています。それは、あらゆる取引において疑わしい事柄や忌み嫌われることを避けるためです。職人たちについても同様であり、何らかの事柄に従事するすべての者は、その中でハラームを避けるために、それに関する知識と規定を学ぶことが義務づけられています [63]。 [63] イブン・アービディーンの註解(1巻 42頁)
そして、ナワウィー(彼にアッラーの慈悲がありますように)は言いました: 「商売や婚姻、およびそれに類する、そもそも義務付けられないものについては、その諸条件を理解した後でなければ着手することは禁じられています」[64]。 [64] 参照:『アル=マジュムーゥ』(1/ 50)
イスラーム法によって定められた、金銭取引に関する諸法則:
1-純粋な利益、あるいはより大きな利益が含まれるすべての事柄が合法であること。たとえば、合法な物の売買、賃貸契約、先買権などです [65]。 [65] 先買権とは:金銭的代償によって譲り受けた者から、自分の共同所有者の取り分を、取り戻すことの出来る権利のことです。
2-担保や証言のできる証人など、他者の権利を保証し、守るすべての手段の合法性。
3-売買取引における合意解除や契約解除の権利、条件などのように、契約者の利益となるすべてのことの合法性。
4-利息、強奪、買い占めといった、人々に対する不正や他人の財産を不当に奪うことを含む全ての行為の禁止。
5-貸与や借用、寄託など、善行への協力となるすべての事柄の合法性。
6-賭博や利息といった、労働も利益も労力も伴わずに財産を得ることを含むあらゆる行為の禁止。
7-自分が所有していないものの売買取引や、詳細が不明なものの売買取引など、商品の詳細の不明確さや不確実性を伴うすべての取引を禁じること。
8-ハラーム(禁じられた行為)につながるあらゆる術策の禁止。そこにはイーナ取引なども含まれる [66]。 [66] 代償もなく金銭そのものを得る売買取引:売る側が他者に商品を後払いで売って引き渡し、その後に代金を受け取る前に、売った時よりも安い価格の現金でそれを買い戻すことです。
9-金曜礼拝の2度目のアザーン(呼びかけ)の後に行う売買など、アッラーへの服従の妨げとなるものの禁止。
10-害悪を及ぼす、あるいはムスリムの間に憎悪を引き起こすあらゆる事柄は、禁止されます。禁じられたものの売買や、兄弟であるムスリムの取引に割り込むことといった物事が、そこに含まれます。
ムスリムにとって、ある問題の規定が不明瞭である場合、それについて学識豊かな者に質問し、それに関するイスラーム法上の規定を知るまでは、その問題に対処してはなりません。。 アッラーは仰せになりました: 「教訓の民に尋ねてみよ。もし、あなた方が知らないのなら。」 [蜜蜂章:43節]
結論として、このテーマに関して私が書けたのは以上です。 私たちは、有益な知識を与え、正しい行いへと導いてくださるよう、アッラーに祈り求めます。まことに、アッラーは最も寛大で、最も慈悲深い御方です。 アッラーの祝福と平安が、私たちの預言者ムハンマドとその一族、そして教友たちにありますように。
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イスラームはアッラーの使徒たちの宗教85 言語イスラームはアッラーの使徒たちの宗教
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الشهادتين78 言語الشهادتين
イスラームに入信するには、信仰告白(シャハーダ)の言葉を声に出して唱える必要があります: 私はアッラー以外に真に崇拝すべきものは無いことを証言します。 アシュハドゥ アッラー イラーハ イッラッラーフ 私はムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します。