من خلق الكون؟ ومن خلقني؟ ولماذا؟
宇宙を創ったのは誰?私を創ったのは誰?なぜ創られたのか?
宇宙を創ったのは誰?私を創ったのは誰?なぜ創られたのか?
二大聖マスジド宗務庁学術委員会
私は正しい道を歩んでいるのでしょうか?
諸天と大地、そしてその中にある計り知れないほどの生き物を創造したのは誰でしょうか?
そして、天地の精妙なバランスをもたらしたのは誰でしょうか?
聴覚、視覚、理性を授け、知識を習得し、真実を理解できるようにしたのは誰でしょうか?
人体の精妙な仕組み、そして、あなたの姿かたちを美しくしてくださったのは誰でしょうか?
多種多様な生き物の差異ついて、よく考えてみてください。これほど美しくお創りになったのは誰でしょうか?
この壮大な宇宙は、長期的に緻密なバランスを保ち、どのような法則によって秩序と安定性を維持しているのでしょうか?
この世界を管理するシステム(生と死、繁殖、昼夜、季節など)を構築したのは誰でしょうか?
この世界は自ら創造されたものでしょうか?それとも無から生まれたのでしょうか?それとも偶然に存在したのでしょうか?至高なるアッラーは仰せられました: いや、彼らはいかなるものもなしに、創られたというのか?それとも彼らが創造者なのか? それとも、彼らが諸天と大地を創ったのだと?いや、彼らは(アッラーの懲罰を)確信していない。 [山章:35-36節]
もし、私たちが自らを創造したのではなく、私たちが無から、あるいは偶然に生まれることもないのだとしたら、この世界には偉大で全能の創造主が必ず存在するという真実が浮かび上がります。なぜなら、この世界が自らを創造したということはあり得ないし、無から生まれたということもあり得ません。そして、偶然に現れたということも不可能だからです。
人間はなぜ、目に見えないものの存在を信じれるのでしょうか?例えば、(知覚、理性、魂、感情、愛など)それらの効果を目にするからではないでしょうか?そうであるならば、創造主の創造、働き、慈悲の効果を目にする人間が、この壮大な世界の創造主の存在についてどうして否定できるでしょうか?
また、理性のある人なら、「(例えば、)この家は誰の手も借りずに存在しています」と言われても、決して信じないでしょう。あるいは、「何もないところから(突如として)この家は現れました」と言われても、信じないはずです。そうであるならば、「この広大な世界は、創造主なしに存在しています」という言葉について、人たちは信じられるのでしょうか?また、「世界の緻密な規則は偶然によって生まれました」と言われても、どのようにして信じられるでしょうか?
これらすべては、一つの結論へと私たちを導きます。それは、この世界には偉大で力強く、全能で(万事を)司る主が存在するということです。そして、かれのみが崇拝されるに値する存在であり、かれ以外に崇拝されているものは誤りであり、崇拝されるには値しません。
偉大なる創造主
創造主である唯一の神は、全てを所有され、(全ての)物事を司り、供給し、生と死を与えられる御方です。かれこそが大地を創造し、被造物が暮らしやすいように整えられました。また、諸天とそこに存在する様々な被造物を創造し、太陽、月、昼と夜を設け、その偉大さを示す正確な秩序を定められたのです。
また、かれこそが、私たちにそれなしでは生存できない空気を運んでくださり、私たちに雨を降らせ、海や川を備えてくださった御方です。そして、私たちが母親の胎内で何の力も持たない胎児の頃に栄養を与え、守ってくださった御方であり、私たちが生まれてから死ぬまで、私たちの体内に血液を流してくださる御方です。
至高なるアッラー:創造主、糧を与えられる唯一の御方
至高なるアッラーは仰せられました: 本当にあなた方の主は、諸天と大地を六日間で創造され、それから御座に上がられたアッラーである。かれは夜を昼に覆わせられ(、昼を夜にお入れにな)る。それは(互いに)相手をせわしなく求める。また(かれは)太陽も月も星々も、そのご命令によって(かれがお望みの者に)奉仕させられるもの(として、お創りになった)。かれにこそ、(全ての)創造とご命令は属するのではないか?全創造物の主アッラーは、祝福にあふれたお方よ。 [高壁章:54節]
アッラーは、私たちに見えているものや見えていないものも含めた世界に存在する全てのものの創造主です。そして、かれ以外の全ての存在はかれの被造物になります。かれのみが唯一崇拝されるに相応しい御方であり、かれと並べて他に崇拝されるべきいかなる存在もありません。かれの王権、創造、管理、そして崇拝において、かれに並べるものは存在しないのです。
もし仮に、この荘厳なる主以外の神々がいるとしたら、世界は腐敗してしまうでしょう。なぜなら、2つの神が世界の事柄を同時に管理することはできないからです。至高なるアッラーは仰せられました: そこ(天地)にアッラー以外の神々がいたら、その二つ(天地)は損なわれてしまったであろう。 [預言者たち章:22節]
創造主(アッラー)の属性について
称賛されるべき主には、数えきれないほどの美名と、その完全性を示す数々の崇高で偉大な属性があります。その御名の中には、「創造主」や「アッラー」、すなわち唯一無二で同位者のない、真に崇拝されるべき御方、また、永生される御方、唯一自存される御方、慈悲深い御方、全ての糧を所有される御方、最も高貴なる御方などがあります。 クルアーンの中で、至高なるアッラーは仰せられました: アッラーは、かれの外に(真に)崇拝すべきものがなく、永生するお方、全てを司るお方。まどろみも眠りも、かれを捉えることはない。諸天にあるものと、大地にあるものは(全て)、かれに属する。かれのお許しなくして、誰がかれの御許で執り成すことが出来ようか?かれは、彼ら(全存在)の前にあるものも、彼らの背後にあるものも、ご存知である。そしてかれのお望みになることの外、彼らはかれの御知識について、何も把握することはないのだ。かれの玉座は、諸天と大地に広がり、その二つの護持が、かれを疲れさせることもない。そしてかれは至高のお方、この上なく偉大なお方であられる。 [雌牛章:255節]
至高なるアッラーは仰せられました: (使徒よ、)言え。「かれはアッラー、唯一なるお方、 アッラーは、威光高きお方、 お産みすることもなければ、お産まれにもならなかったのであり、 誰一人、かれに匹敵するものもなかった」。 [純正章:1-4節]
主(アッラー)の完全な属性
・アッラーは、かれこそが崇拝され敬愛される存在であり、かれ以外の存在はすべて被造物であり、責任を負い、命じられ、従順に従うことが求められます。
・かれは、永生される御方、唯一自存される御方であるということです。存在するすべての生き物は、アッラーが生を授け、無から創造された存在です。かれは、被造物を存在させ、糧を授け、そして充足をもってそれを支えられる御方です。すなわち、主は永生される御方であり、死も消滅もありません。唯一自存される御方であり、眠ることはありません。むしろ、まどろみも眠りもかれを捉えることはないのです。
・かれは、全知者であり、地上においても天においても、かれから姿を暗ますことが出来るものは何もありません。
・かれは、全聴者であり、全視者であるということです。全ての声を聞き、被造物の全てをお見通しになられる御方です。魂がささやくこと、胸に隠すことでさえもご存知で、地上においても天においても、かれから隠し通せるものは何もありません。
・かれは、全能者であるということです。かれに不可能なことはなく、その意志を阻む者もいません。かれは御心にかなうことを行い、御心にかなうことを禁じられます。また、物事を前進させ、遅らせる、確固とした英知を持たれる御方です。
・かれは、創始者であり、全ての糧を所有される御方であり、創造し管理される御方です。そして、被造物はかれの統制下にあります。
・かれは、苦悩する者に答え、苦しむ者を助け、苦しみを和らげる御方であるということです。あらゆる被造物は、苦難や困難に陥った時、必然的に神に頼るのです。
崇拝は、至高なるアッラーのためのみでなければなりません。かれこそは崇拝されるにふさわしい完全で唯一の御方です。そして、かれ以外に崇拝されるものはすべて偽りをもって崇拝されており、そこには、不完全さや死と消滅があるのです。
アッラーは、私たちにかれの偉大さの一部を認知できる理性を恵み、善を愛し、悪を厭うという天性を私たちの中に植え付けて下さいました。そして、万物の主であられるアッラーに立ち返る時、平安を見出せることができるのです。この生来の性質は、かれの完全性を示しており、かれに欠点などあり得ないことを表しています。
理性ある人間にとって、完全ではないもの(不備のあるもの)を崇拝するということは適切ではありません。自分と同じように不完全な存在、あるいは自分より劣る存在を崇拝するということは、どうしてできるでしょうか。
崇拝されるべき対象は、人間、偶像、木、動物ではないのです。
主は諸天の上におられ玉座に鎮座し、被造物とは明確に区別されます。かれには被造物の特徴は何もなく、また被造物にもかれの特徴は何もありません。主は被造物の中に宿ることも、具現化することもありません。
主は他に類を見ない存在であり、全てを聴き、全てに通暁される御方です。誰一人、かれに匹敵するものはなく、被造物を必要とせず、眠ることも、食事を取ることもありません。主は偉大であり、妻子を持つことはありません。創造主は偉大な属性を備えており、決して他を必要としたり、欠陥があるといった特徴を持つことはないのです。
至高なるアッラーは仰せられました: 人々よ、一つの譬えが挙げられた。ならば、それに耳を傾けよ。本当に、アッラーを差しおいてあなた方が祈っている者たち、それらは断じて、蠅一匹作れはしない。たとえ、そのために団結したとしても、である。また、もし蠅がそれらから何かを奪っても、それらが、その(奪われた)ものを、それ(蠅)から取り戻すこともできない。求める方も、求められる方も弱いのである。 彼ら(シルクの徒)はアッラーを、真に敬わなかった。本当にアッラーはまさしく、強力なお方、偉力ならびないお方であられる。 [巡礼章:73-74節]
偉大なる創造主が、私たちを創造した理由は?私たちに望まれていることは?
アッラーが、これらすべての生き物を目的もなく創造したという可能性はあるでしょうか。かれは全知全能であるにもかかわらず、それらを無意味に創造されたのでしょうか?
これほどまでに精緻かつ完璧に私たちを創造し、諸天と大地にある全てのものを私たちに従わせた御方が、私たちを何の目的もなく創造したり、私たちが抱える最も重要な疑問、例えば「なぜ私たちはここにいるのか?」「死後どうなるのか?」「私たちの創造の目的は何なのか?」といった問いに対する答えを与えずに放置したりするなど、考えられるでしょうか?
また、不正者には罰が下らず、善行者にはそれに応じた報奨がないということも、考えられるでしょうか?
崇高なるアッラーは仰せられました: 一体あなた方は、われらがあなた方を無意味に創造したと、そしてあなた方が(清算と報いのため)われらの御許へと戻らされないとでも、思っていたのか? [信仰者たち章:115節]
アッラーは、使徒たちを遣わして、私たちの存在意義を知らせ、どのようにかれを崇拝して、かれに近づくことができるのか、そして、かれが私たちに何を望んでいるのかを教えて下さりました。また、どのようにすればかれの喜びを得られるのか、そして死後の行きつく先についても知らせてくれたのです。
アッラーは、かれだけが崇拝に値する存在であること、また、どのようにしてかれを崇拝すべきかを私たちに知らせるため、使徒たちを遣わされました。そして、かれの命令と禁令事項を私たちに伝え、私たちがそれらを遵守したならば、善と祝福に満ちたよき人生となる、素晴らしい価値観を教えられたのです。
アッラーは、ノア、アブラハム、モーセ、イエスなど多くの使徒を遣わされ、彼らの真実性と、彼らが至高なるアッラーからの使徒であることを示す種々の御徴と奇跡を授けられました。そして、最後の使徒として、ムハンマド(アッラーからの祝福と平安あれ)が遣わされたのです。
使徒たちは、この世の人生は試練であり、真の人生は死後に訪れるということを、明確に私たちに伝えくれました。
そして、唯一アッラーのみを崇拝し、何もかれに並び立てず、全ての使徒たちを信じた信仰者たちには楽園があり、また、アッラーの外に神々を崇拝し、アッラーの使徒たちの内、ひとりでも信じなかった不信仰者たちには、アッラーが準備された地獄の業火があるのです。
至高なるアッラーは仰せられました: アーダムの子らよ、もしもあなた方の内から、あなた方にわが御徴(アーヤ)を読み聞かせる使徒たちが、あなた方のもとに到来した時、誰であれ(アッラーを)畏れ、(行いを)正した者、その者たちには怖れもなければ、悲しむこともない。 そしてわれらの御徴を嘘呼ばわりし、それに対して奢り高ぶる者たち、それらの者たちは業火の住人である。彼らはそこに永遠に留まるのだ。 [高壁章:35-36節]
至高なるアッラーは仰せられました: 人々よ、あなた方と、それ以前の者たちを創造されたあなた方の主(アッラー)を崇拝するのだ。それはあなた方が、敬虔になるためである。 あなた方のために大地を敷物とされ、空を屋根とされ、天からは(雨)水をお降らしになり、あなた方の糧とすべく、それにより(様々な)果実を実らせられたお方を。ならば(アッラーが唯一の主であり、崇拝すべきお方だと)知りつつ、アッラーに同位者を設けて(崇拝して)はならない。 (不信仰者たちよ、)もしあなた方が、われらがわれらの僕(ムハンマド)に下したもの(クルアーン)について疑惑を抱いているのなら、それと同等のスーラを一つでもよいから創作し、アッラー以外のあなた方の証人(の助け)を呼んでみるがいい。もしあなた方が、本当のことを言っているというのならば。 そして、もしそう出来ないのなら——あなた方は絶対にそう出来ないのだが——、(預言者への信仰とアッラーへの服従によって、)その燃料が人間と石である(地獄の)炎から身を守るのだ。それは不信仰者たちのために準備されている。 また(使徒よ)、信仰して正しい行いを行う者たちには、彼らのために、その下から河川が流れる楽園があるという吉報を伝えよ。彼らはそこで果実の糧を授かるたびに「これは、私たちが以前授かっていたものだ」と言う——彼らには、似たものが授けられるのだ――。またそこには彼らのために、純潔な妻たちがいる。彼らはそこに永遠に住むのである。 [雌牛章:21-25節]
複数の使徒が遣わされた理由は?
アッラーは、あらゆる共同体へと使徒たちを遣わされました。アッラーが、使徒を遣わされなかった共同体は一つもありません。それは、彼らに主を崇拝するよう呼びかけ、アッラーの命令と禁止事項を伝えるためでした。彼らの呼びかけの目的はすべて、唯一至高なるアッラーを崇拝することでした。ある共同体が、使徒がもたらしたアッラーの唯一性に関する信仰を放棄したり歪めたりするたびに、アッラーは彼らの行いを正し、人々をアッラーの唯一性とかれに従うという健全な生来の性質へと戻すため、別の使徒を遣わされたのです。
そして、アッラーは、預言者ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)をもって使徒たちの封印とされました。復活の日まで続く全人類のための完全な教えと普遍的な法規定(シャリーア)をもたらされたのです。それは以前のある種の法規定を撤回し、そして完遂させたものです。崇高なるアッラーは、この宗教が復活の日まで存続することを保証されました。
全ての使徒たちを信仰するまで、真の信仰者ではないこと
アッラーは使徒たちを遣わし、全ての被造物に対して、彼らに従うよう命じられました。使徒たちの一人でも信仰しない者は、全ての使徒を信仰しないのと同じです。なぜなら、アッラーの啓示を受け入れないこと以上の罪はないからです。それ故、楽園に入るためには、全ての使徒を信じなければなりません。
すなわち、この時代に生きる人にとって、アッラーとアッラーの全ての使徒たちを信仰し、最後の日を信仰することは義務となります。それは、地上が存続する限りアッラーご自身が保持され、保証されている永遠の奇跡でもあるクルアーンに支えられた、最後の使徒ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)を信じ、従うことによってのみ達成できます。
アッラーはクルアーンの中で、かれの使徒たちの一人でも信仰しない者は、アッラーを信仰しない者であり、かれの啓示を否定する者であると述べられています。至高なるアッラーは仰せられました: 本当に、アッラーとその使徒たちを否定し、アッラーとその使徒たちの間を分断しようとし、また、「私たちは(使徒の)ある者は信じるが、(別の)ある者は否定する」と言って、その狭間に(迷妄の)道を見出すことを望む者たち。 それらの者たちこそは、真に不信仰者である。われらは不信仰者たちに対し、屈辱的な懲罰を用意しておいた。 [婦人章:150-151節]
そのため、私たちムスリムは、アッラーが御命令されたとおり、アッラーと最後の日を信仰し、先のすべての使徒たちと啓典を信仰するのです。至高なるアッラーは仰せられました: 使徒は、彼の主から彼に下されたものを信仰する。そして信仰者たちも(同様である)。(彼らは)皆、アッラーとその天使たち、諸啓典と使徒たちを信仰する。(彼らは言う。)「私たちは、かれ(アッラー)の使徒たちの間に差別をつけない」そして彼らは言うのだ。「私たちは(あなたのご命令を)聞き、従います。我らが主よ、あなたのお赦しを(乞います)。そしてあなたの御許こそ、(私たちの)帰り所なのです」。 [雌牛章:285節]
クルアーンとは?
クルアーンとは、至高なるアッラーの御言葉であり、最後の使徒ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)に啓示されたものです。それは、彼(アッラーの祝福と平安あれ)の預言者性の真実を証明する、最大の奇跡でもあります。そして、真理を法規定として体現し、偽りのない真実を持って伝えられているものです。
また、アッラーは、嘘つき呼ばわりしている者たちに対して、クルアーンの章(スーラ)と同等のものを一つでもよいから創作してみよ、と挑戦するも彼らには出来ませんでした。クルアーンの内容の偉大さ、この世と来世における人間に関わるあらゆる事柄が網羅的に扱われているためです。そして、そこには信じるべき信仰の真理がすべて含まれているのです。
そこには、人間が主との関係において、あるいは自分自身について、あるいは自身と他との関係において守るべき、命令や禁止事項が、すべて優れた修辞法と表現方法で記されています。
そして、この書が人間によって創作されたものではなく、人類の主、崇高なる御言葉であることを示す、数多くの合理的証拠と科学的事実が含まれているのです。
イスラームとは?
イスラームとは、唯一至高なるアッラーへの服従であり、アッラーに従順に仕え、かれの法規定(シャリーア)を真摯に受け入れて遵守し、そしてアッラー以外に崇拝されるいかなるものをも信じないことです。
アッラーは、使徒たちに一つのメッセージを託して遣わされました。それは、アッラーのみを崇拝し、いかなるものもかれと並び立ててはならないこと、そしてかれ以外に崇拝されるいかなるものをも信じないことです。
また、イスラームは、全ての預言者たちの教えです。彼らの呼びかけは一つですが、その法規定は異なります。現在、ムスリム(イスラーム教徒)たちは、全ての預言者たちによってもたらされた真の教えを遵守する唯一の人々です。この時代におけるイスラームのメッセージは真実であり、創造主から人類に向けた最後のメッセージなのです。
アブラハム、モーセ、イエス(彼らに平安あれ)を遣わされた主こそが、預言者たちの封印であるムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)を遣わされました。そして、イスラーム法(シャリーア)は、それ以前の法規定に代わる最終的なものです。
今日の、人々が信奉している-イスラーム以外の-宗教はどれも人間が創作したもの、あるいは元来、神からもたらされたものの後に人間によって改ざんされ、迷信、伝承された神話、人間の解釈などが混ざり合った宗教です。
一方、ムスリムたちの教えは、唯一無二で、明確かつ不変の宗教です。彼らの崇拝しているものはアッラーのみであり、彼らは皆、1日5回の礼拝を行い、喜捨を納め、ラマダーン期間中には断食を行います。そして、いずれの国においても同一の啓典であり、彼らの法規定でもあるクルアーンを熟考します。至高なるアッラーは仰せられました: この日われはあなた方のために、あなた方の宗教を完成させ、あなた方へのわが恩恵を全うし、イスラームがあなた方への宗教であることに満足した。(故意に)罪に傾くのでもなく、空腹でやむを得ない状態にある者は誰でも(、禁じられたものを食べてもよい)、本当にアッラーは赦し深いお方、慈愛深いお方なのだから。 [食卓章:3節]
そして、クルアーンの中で、至高なるアッラーは仰せられました: (使徒よ、)言ってやるがいい。「私たちはアッラー、私たちに下されたもの(クルアーン)、イブラーヒーム、イスマーイール、イスハーク、ヤァクーブ、諸支族に下されたものを信じる。またムーサーとイーサーと、(その他の)預言者たちが彼らの主から授けられたものを信じる。私たちは、彼らの内の誰も分け隔てはしない。そして私たちは、かれ(アッラー)のみに従う者(ムスリム)なのである」。 誰であれ、イスラーム以外のものを宗教として望む者は、決してそれを受け入れられない。また来世において、その者は損失者の類となるのである。 [イムラーン家章:84-85節]
イスラームという教えは、人間の天性と理性に合致し、健全な魂を持つ人々によって受け入れられる、包括的な生き方です。それは偉大なる創造主が、その創造物のために定められたものです。この世と来世において、すべての人々にとって善と幸福をもたらす宗教です。人種や肌の色による区別は一切ありません。人々は平等です。イスラームにおいては、善行の度合い以外に、誰一人として他者と区別されることはありません。
至高なるアッラーは仰せになりました: 男性であれ女性であれ、誰であろうと信仰者で正しい行いを行う者、われらはその者に、必ずやよい暮らしを送らせよう。そしてわれらは彼らに対し、彼らが行っていた最善のもので、必ずや彼らの褒美を報いてやるのだ。 [蜜蜂章:97節]
イスラームは幸福への道
イスラームは、全ての預言者たちの宗教、すなわち全ての人のためのアッラーの教えであり、アラブに特化した宗教ではありません。
イスラームは、この世における真の幸福と、来世における永遠の至福への道です。
イスラームは、魂と身体の必要に応え、人間のあらゆる問題を解決する唯一の宗教です。至高なるアッラーは仰せられました: かれは仰せられた。「二人とも共に、(イブリースと)互いに敵となって、そこ(楽園)から落ちて行け。そして、あなた方にわれらの御許からの導きが到来した時、わが導き(使徒と啓典)に従う者は誰でも、(現世で)迷うことはなく、(来世で)不幸になることもない。 また、わが教訓に背を向ける者、本当に彼には苦しい生活がある。そしてわれらは復活の日、彼を盲目にして集めるのだ」。 [ター・ハー章:123-124節]
ムスリムは、この世と来世で何を得られるのか?
イスラームは、以下のような多くの恵みをもたらします:
- この世における成功と栄誉は、アッラーのしもべとなることによってのみ得られるものであり、さもなければ、人はシャイターン(悪魔、サタン)と欲望のしもべとなってしまいます。
- 来世においては、アッラーからのお赦しとご満悦を授かり、楽園に迎え入れてもらえます。彼は、永遠の至福と満足を授かり、地獄の業火の苦しみから救われるのです。
- 信仰者は、復活の日に預言者たち、誠実な者たち、殉教者たち、善良な者たちと共にいることになりますが、これ以上に素晴らしいことはあるでしょうか。一方、不信仰者は、暴君、悪人、犯罪者、そして、堕落した者たちと共に過ごすことになります。
- アッラーが楽園に迎え入れた者は、死、病気、苦痛、老い、悲しみのない永遠の至福の中で生き続けます。彼らの願いは叶えられ、彼らは望むものすべてを手に入れるでしょう。一方、地獄の業火に落ちる者たちは、永遠に絶え間ない罰の中に留まり続けるのです。
- 楽園には、目で見たこともなく、耳で聞いたこともなく、誰も想像したこともないような喜びがあります。その根拠の一つとして、至高なるアッラーは仰せられました: 男性であれ女性であれ、誰であろうと信仰者で正しい行いを行う者、われらはその者に、必ずやよい暮らしを送らせよう。そしてわれらは彼らに対し、彼らが行っていた最善のもので、必ずや彼らの褒美を報いてやるのだ。 [蜜蜂章:97節]
そして、至高なるアッラーは仰せられました: また、いかなる者も、彼ら(信仰者たち)が行っていた(善い)ことゆえの報いとして、彼らのために秘蔵された喜びを知らない。 [アッ=サジダ章:17節]
ムスリムでない人が、損なう可能性のあるものとは?
人は、最も偉大な知識と理解、つまりアッラーについての知識と理解を得る機会を失ってしまい、この世における安心と心の平安、そして来世における永遠の至福をもたらす、アッラーへの信仰を失ってしまうでしょう。
人は、アッラーが人類に啓示された最も偉大な啓典への信仰、そして、それを遵守する機会を失ってしまうでしょう。
彼らは、偉大な預言者たちへの信仰、そして、復活の日に楽園で彼らと共にいる機会を失ってしまい、その代わりに、彼らはシャイターン(悪魔、サタン)、犯罪者、暴君たちと地獄の業火の中で共にいることになるでしょう。
至高なるアッラーは仰せられました: (使徒よ、)言ってやれ「本当に損失者とは(現世と不信仰への誘惑によって)、復活の日に自分自身とその家族を損ねる者たちのこと。それこそは紛れもない損失ではないか」。 彼らには(復活の日、)その上から(何重もの)業火の層があり、その下からも(同様の)層がある。アッラーはそれによって、その僕たちを怖れさせる。わが僕たちよ、ならばわれを畏れるのだ。 [集団章:15-16節]
来世の救済は、アッラーに従順なムスリムであること:預言者ムハンマド(アッラーからの祝福と平安あれ)のスンナに従うこと
預言者たちと使徒たち(彼らに平安あれ)の間で共通している真実があります。それは、至高なるアッラーのみを信仰し、崇拝においてはかれに何ものをも並べず、全ての使徒たちと預言者たちを信仰したムスリムだけが、来世で救われるというものです。使徒たちを信仰し、彼らの真実性を確信した全ての信仰者は楽園に入り、地獄の業火から救われるでしょう。
預言者ムーサー(モーセ)の時代に生き、彼を信じ、彼の教えに従った人々は、敬虔なムスリムであり、信仰者でした。しかし、アッラーが、預言者イーサー(イエス)を遣わした後、ムーサーの信仰者たちはイーサーを信じ、彼に従うことが求められました。
そのため、イーサーを信じた者たちは、正しいムスリムであり、イーサーを信じることを拒み、ムーサーの教えに従い続けた者は、アッラーが遣わされた預言者を信じることを拒んだため、信仰者ではないのです。
また、アッラーが最後の預言者ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ))を遣わされた後、全ての人にとって、彼を信じることが義務となりました。主は、ムーサーとイーサーを遣わされた御方であり、そして、預言者の封印であるムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)を遣わされた御方でもあります。ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)のメッセージを否定し、「私はムーサーやイーサーに従い続ける」と言う者は、信仰者ではないのです。
そして、人が単に、ムスリムたちに敬意を表するだけでは十分ではなく、また来世における救済のために寄付を施し、貧しい人々を助けるだけでも十分ではありません。それらの行為をアッラーに受け入れてもらうためには、アッラーとその諸啓典、使徒たち、最後の日を信仰することが必須です。多神崇拝とアッラーを信仰しないこと、アッラーの啓示を否定し、最後の預言者ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)のメッセージを否定すること以上の罪はないのです。
アッラーの使徒ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)の使命を聞きながら、彼を信じることを拒み、イスラームに改宗することを拒んだ人々は、地獄の中に永遠に留まるでしょう。これはアッラーの裁きであり、いかなる人間の裁きでもありません。至高なるアッラーは仰せられました: 本当に、啓典の民とシルクの徒である不信仰に陥った者たちは(復活の日)、地獄の業火の中にある。彼らはそこに永遠に留まるのだ。それらの者たちこそは、最悪の創造物。 [明証章:6節]
アッラーから人類への最後のメッセージが下されて以来、イスラームについて聞き、最後の預言者ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)のメッセージを耳にする全ての人々は、彼を信じ、彼の法に倣い、彼が命じ禁じられたことについて、従わなければなりません。この最終メッセージを聞いた後にそれを拒む人からは、アッラーは何も受け入れられず、来世においては罰せられることになるでしょう。
その根拠として、至高なるアッラーは仰せられました: 誰であれ、イスラーム以外のものを宗教として望む者は、決してそれを受け入れられない。また来世において、その者は損失者の類いとなるのである。 [イムラーン家章:85節]
至高なるアッラーは仰せられました: (使徒よ、)言え。「啓典の民よ、私たちとあなた方との間の(共通する)正しい言葉へとやって来なさい。『私たちはアッラー以外には崇拝せず、かれに対して何ものをも並べない。またアッラーを差しおいて、自分たちの内の誰かを主としたりもしない』(という言葉へ)」。もし彼らが(この呼びかけから)背き去ったのなら、(ムスリムたちよ、こう)言ってやるがいい。「私たちが(アッラーに)服従する者(ムスリム)であると、証言せよ」。 [イムラーン家章:64節]
ムスリムの知っておくべきことは何ですか?
ムスリムは、イーマーン(イスラームの信仰)の基幹となる6つの要素を信じることが求められます:
アッラーへの信仰。アッラーこそは、創始者であり、糧を与えられる唯一の御方であり、全てを司る御方であり、全ての所有者であられます。アッラーには妻も子もなく、唯一かれのみが崇拝されるにふさわしく、かれと並べて崇拝されるべきものはありません。そして、アッラー以外に崇拝されるものは、全て無効であると理解することです。
諸天使への信仰。天使は至高なるアッラーのしもべであり、アッラーは、天使を光から創造されました。彼らに与えられた任務の一つとして、預言者たちに啓示を伝えることが挙げられます。
諸啓典への信仰。アッラーが預言者たちに啓示された全ての啓典(例:トーラー、福音書等 - 改ざん前の啓典 - )と、最後の啓典であるクルアーンを信じることです。
諸使徒への信仰。ヌーフ(ノア)、イブラーヒーム(アブラハム)、ムーサー(モーセ)、イーサー(イエス)、そして最後の預言者ムハンマド(彼らにアッラーの祝福と平安あれ)など、全ての使徒たちを信じることです。彼らは、人間であり、アッラーは啓示によって彼らを支えられ、彼らの真実性を示す御徴と奇跡を与えられました。
最後の日への信仰。それは、アッラーが過去の世代から未来の世代に至るまで、全ての人々を復活させ、彼らの間に裁きを下される時です。アッラーは、信仰者を楽園に迎え入れ、不信仰者を地獄に落とされます。
定命への信仰。アッラーは、過去のこと、未来のこと、全てを知り尽くされていると信じることです。アッラーは、全てのことを知り、定め、望み、創造されたのです。
皆さんは、アッラーが定められたことに従って、アッラーを崇拝すべきです。礼拝を行い、喜捨を払い、断食を守り、そして可能であれば、ハッジ(大巡礼)を行うことなどです。さらに、自らの宗教について学んでみてください。それは、この世における幸福の源であり、来世における救いの源となるでしょう。