「キリスト教徒がマルヤムの子の讃美において度を越したように、私のことを度を越して称えてはならない。私はかれ のしもべに過ぎないのだ。それゆえ(私のことを)こう言うがよい:アッラーのしもべ、アッラーの使徒、と。」
ウマル・ブン・アル=ハッターブ(アッラーのご満悦あれ)は言った:私は預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)が、こう言うのを聞いた:
「キリスト教徒がマルヤムの子の讃美において度を越したように、私のことを度を越して称えてはならない。私はかれ のしもべに過ぎないのだ。それゆえ(私のことを)こう言うがよい:アッラーのしもべ、アッラーの使徒、と。」
«لَا تُطْرُونِي كَمَا أَطْرَتِ النَّصَارَى ابْنَ مَرْيَمَ؛ فَإِنَّمَا أَنَا عَبْدُهُ، فَقُولُوا: عَبْدُ اللهِ وَرَسُولُهُ».
預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)はキリスト教徒がマルヤムの子イーサーに対してそうしたように、自分が過度に賛美されたり、アッラーが専有する属性や行為で描写されたり、不可知の領域を知っていると言われたり、アッラーと並べて祈願されたりすることを禁じた。 そして彼がアッラーのしもべの一人であることを説明し、私たちが彼のことを「アッラーのしもべ、アッラーの使徒」と言うよう命じた。
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イスラームの決まりを超えて過度に賛美したり偉大視したりすることに対する警告。なぜならそれはシルクの原因となるからである。
預言者(アッラーからの祝福と平安あれ)が警告したことは、既にこの共同体に起こっている。あるグループはアッラーの使徒(アッラーからの祝福と平安あれ)に対して、別のグループはその一族に対して、また別のグループはワリー(宗教的に特別な徳がある者)たちに対して行き過ぎたことをし、その結果シルクに陥ったのである。
アッラーの使徒(アッラーからの祝福と平安あれ)は自らをアッラーの使徒と描写した。それは彼がアッラーを主とするしもべであり、アッラーが専有するいかなる特徴も自分に帰させることは許されない、ということを明らかにするためであった。
アッラーの使徒(アッラーからの祝福と平安あれ)が自らをアッラーの使徒と描写したのは、彼がアッラーから遣わされた使徒であり、彼が信仰され、踏襲されなければならないことを明らかにするためであった。
ブハーリーの伝承 (4/ 167) (3445).
さらに見る (6)
عمدة القاري شرح صحيح البخاري.
محمود بن أحمد بدر الدين العيني (16/ 37).
فتح الباري.
لابن حجر (6/ 490).
منار القاري شرح مختصر صحيح البخاري.
حمزة محمد قاسم (4/ 208).
書籍での引用
4 書籍さらに見る (4)
- مجموعة زاد التربية الإسلامية (1)، والسيرة النبوبة (1)، والعقيدة (1)، والفقه (1)التربية الأسلامية 1«كما أطْرتْ النّصارى ابْن مرْيم»
- موسوعة الأسئلة (المجموعة الأولى)«لَا تُطْرُونِي كَمَا أَطْرَتِ النَّصَارَى ابْنَ مَرْيَمَ، فَإِنَّمَا أَنَا عَبْدُهُ، فَقُولُوا: عَبْدُ اللهِ وَرَسُولُهُ»
- نبراس طالب (1)1«لاَ تُطْرُونِي([1]) كَمَا أَطْرَتْ النَّصَارَى ابْنَ مَرْيَمَ، فَإِنَّمَا أَنَا عَبْدُهُ، فَقُولُوا: عَبْدُ الله وَرَسُولُهُ»
- نبراس طالب (4)1«لَا تُطْرُونِي كَمَا أَطْرَتِ النَّصَارَى ابْنَ مَرْيَمَ، فَإِنَّمَا أَنَا عَبْدُهُ، فَقُولُوا: عَبْدُ اللهِ وَرَسُولُهُ»